本研究の目的は、1910年代にアメリカでプラン化された六・三・三制が1920年代に中国各省でどのように採用され、実施に移されたのかを明らかにすることにある。 前年度には、省レベルの資料を入手することができた。すでにマイクロフィルムの印刷作業に着手している。入手する前に予測していた以上に膨大な量であることが判り、このため前年度に引き続き本年度も印刷作業を継続し、同時に冊子体としてまとめていく作業を進めることにした。完了するには到らなかったが、甘粛教育公報、広東教育公報、湖北教育公報については完了済みで、そのほか湖北教育広報、河北教育広報については研究期闇終了後も継続して作業を進めていくことにしている。 以上のように、研究材料の整理整頓を完了させるに到らなかったものの、とくに甘粛教育公報を使って新たな知見を得られたことは、ひとつの収穫である。これについては、今井航「壬戌学制における六・三・三制の各省教育庁による採用形式」『別府大学紀要』第50巻の85〜93頁に掲載されている。また、学校制度の改革をみるに当たっては、カリキュラムの改革にも目を配る必要がある。壬戌学制が制度化されてから後にカリキュラムはどうなったか。これについては、今井航「壬戌学制制定後にみられる中学校のカリキュラム構想」『教育学研究紀要』(CD-ROM版)の137〜142頁に掲載されている。 本研究で、1920年代に中国で六・三・三制が各省でいかに採用され、実施に移されようとしたのか。この疑問に対する具体的な解答を得ていくための端緒が開かれた。このことが本研究の意義であると思われる。
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