1.日本の耳鼻咽喉科医師の聴覚障害教育への関与の分析 明治末期にドイツ留学を経験し、その後、日本の聴覚障害教育に関与した岡田和一郎(東京帝国大学医学部耳鼻咽喉科初代教授)および久保猪之吉(九州帝国大学医学部耳鼻咽喉科学教室初代教授)の役割を改めて分析した。岡田が「残存聴力」の程度を評価し、その活用を主張する上で、ウィーンおよびミュンヘンでの学びは重要な意味をもった。久保は岡田の教え子として、留学前から「残存聴力」を活用する教育や新しい補聴器の紹介をおこなった。帰国後の久保は、耳鼻咽喉科学領域の学術雑誌や書籍の編纂、内外諸研究の摂取に尽力し、学術・研究面からも聴覚障害教育に関与した。両者は、聴覚障害者の福祉的課題への関心もあった。 2.国際聾教育学会での研究成果の発表 上述の内容について、第21回国際聾教育会議(バンクーバー)の「教育におけるテクノロジー/手話とろう文化」のポスター・セッションにて発表をおこなった。北米のろう者との質疑では、耳鼻咽喉科医師の関与がろう当事者の生活にどのようなインパクトを与えたのかという視点からの分析が必要との示唆を得た。一方で、聴覚活用は今日までの日本の聴覚障害教育の特徴でもあり、その特長と課題の把握には、耳鼻咽喉科学の関与という視点からさらに研究を進める必要があると思われた。 3.日独の聴覚障害教育の方法論の歩みの比較検討 ドイツの聴覚障害教育は、ザムエル・ハイニッケによる最初の「聾唖」学校創設以来、口話法そして後に聴覚口話法による聴覚障害者への普通教育の提供を理念とし、その特徴は同校の今日の姿にも確認された。日本の聴覚障害教育の方法は、大正末期以降、ドイツを含む海外からの情報にも依拠しつつ、口話法(そして聴覚口話法)を導入してきた。専門性の継承および手話法との共存のためには、日本の聴覚障害教育の方法とその理論的基盤をさらに追究していく必要がある。
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