本研究では、国民保育の対象である乳幼児の実態(障害・疾病、発達状況、養育環境等)の実証的検討と、近代化の過程で生み出された乳幼児保護問題が、戦間期から総力戦体制への移行(1920-30年代)という社会変動のなかでどのように構造的再編を遂げるのかを検討してきた。本年度は引き続き、恩賜財団愛育会を対象として、戦時下地方都市の愛育事業において、障害乳幼児・保育困難児問題への対応がどのように具体化され、それらが当時の保育.母子保健衛生の水準にいかなる影響を与えたのかを検討した。日本子ども家庭総合研究所図書室に所蔵されている史料をもとに、石川県金沢市の愛育会地方分室における研究事業や保育事業の内容について明らかにし、あわせて地方分室の研究指導に中心的役割を果たした金沢医科大学衛生学教室の同時代の研究・実践動向についても検討した。 以上の作業をふまえて、保育困難児・障害幼児問題の保育課題が顕在化する戦間期の日本社会を、急激な人口移動や労働力構成の転換期に即応した「人づくり]=保育・母子保健衛生の新しい改革要求が浮上した時期であると想定し、障害乳幼児・発育困難児への取り組みが、単なる保護対象の枠を越えて、同時代の育児問題の公共性を高めようとする国民大衆の心性として形成されたこと、それゆえに教育と福祉をつらぬく「育児の公共性」という現代的な政策構想が生み出されたことを考察した。上記の研究成果の一部は、「「支援」のまなざしが生まれるとき-戦時下「保育問題」としての障害児保育研究の登場-」として心理科学研究会2009年春の研究集会(2009.4.18)において口頭発表した。
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