本研究では、二カ年の研究目的として、(1)細胞核内の環境を化学的に模倣し、そのような環境下における細胞における核酸の挙動を定量的に解明すること、(2)細胞核内の環境下において転写活性(遺伝子発現)を制御すること、の二点を挙げた。細胞核内は、さまざまな生命分子が高密度に存在する分子クラウディング状態にあることから、核酸の構造と熱力学的安定性に及ぼす分子クラウディングの効果を検討した。その結果、分子クラウディングによって、Watson-Crick塩基対から形成される核酸の構造が一様に不安定化するのに対し、Hoogsteen塩基対から形成される核酸の構造は分子クラウディング剤の種類に依存して大きく安定化する場合や不安定化することが見出された。これらの結果から、常に二重らせん構造を作り遺伝情報を保持していると考えられてきたDNAが、細胞内においては二重らせん以外の様々な構造を作り出す可能性が示された。また、分子クラウディングの効果を用いて、DNAを基質とする酵素(ヌクレアーゼやテロメラーゼ)の機能活性を制御できた。さらに、細胞核内に存在するピストンが核酸と結合している部位を化学的に合成し、核酸の構造安定性に及ぼす効果についても定量的に検討した。その結果、ヒストン模倣ペプチドによって、Hoogsteen塩基対から形成される核酸の構造のみが安定化することが見出された。この結果は、細胞内で転写活性を制御しているクロマチン構造の状態変化に対応するものとして非常に興味深い。また、化学修飾や低分子化合物を用いて核酸の構造や安定性を制御する方法も見出した。以上のように、細胞を模倣した環境下において、核酸の構造安定性や酵素の機能活性を合目的的に調節できたことから、上述した本研究の二つの目標を十分達成できたといえる。
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