本年度は、昨年度に引き続きピーターマリッツバーグの現地調査を行うと共に、比較分析のために同じく南アフリカ内陸植民都市であるグラーフ・ライネに関しても史・資料収集を行った。主な調査機関は、National Archives(Cape Town)とSAHRA(South African Heritage Resources Agency)である。ピーターマリッツバーグに関しては、昨年度の現地調査で入手した1906年の古地図データを基に全街区の変容過程について分析考察を行った。さらに、本年度の現地調査で入手した1986年に行われた全棟調査の記録資料を基にさらに詳細に街区変容について分析考察を行った。また、昨年度の現地調査過程で比較分析の対象都市として浮上したグラーフ・ライネに関しての史・資料収集も行った。入手した1823年のG.トンプソンによる詳細な古地図資料を基に街区構成について分析考察を行った。建設当初のグラーフ・ライネの集落はピーターマリッツバーグの1/15程度であり、東西150ft.×南北220ft.の街区が7分割されたものが1区画erfとなっている。グラーフ・ライネの1街区の大きさは、ピーターマリッツバーグの1区画の約半分であり、共通の寸法体系が読み取れる。G.トンプソンによる測量地図に記載されているスケールは当時のオランダ植民地で広く使われていた計画寸法であり、1 Rhine Yard=3 Rhine feet=3×0.3148m=0.9444mである。グラーフ・ライネの人口は18世紀末から19世紀にかけて急増するが、19世紀を通じてあまり変化がない。建設当初の農耕グリッドは現在でも維持されている一方で、街区内部は居住や商業に適するよう細分化されている。ピーターマリッツバーグと異なり、敷地の細分化の過程でクルドサックなど囲い込み型の街区が形成されているのが特徴である。
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