「白鳥材木役所」に関係する史料を通して、近世後期の木曽材の産出状況と、材種と規格についての考察を試みた。名古屋城築城資材搬入ルートとして慶長十六年(1611)に「堀川」運河に作られた「白鳥木場」には、元和元年(1615)に尾張藩営の白鳥御材木場が開設された。「御材木奉行」が専任になったのは寛永六年(1629)のことで、「白鳥御材木場」への集積材は、御用材・注文材が優先的に処分され、これを確保した後の余剰材を材木業者へ売却する建前が以後近世を通じて保たれた。このような白鳥木場へ集中する木材の保安と処分を管轄する機関として設けられたのが、「白鳥材木役所」である。江戸、名古屋、駿府への上級用材の需要が集中する元和から寛永ころの尾張藩の伐木事業の内訳をみると、駿府御用木を含めた公儀注文材が尾張藩のものを上回っている。 「白鳥材木役所」に関係する史料から近世後期の木曽材の規格の整備状況をみると、長さは3間内外が目安となっている。ヒノキについては「撰(上)」という等級が、四面無節の最上級材とされる。他の材種、あるいはヒノキでも節がひとつあるものは「上」とされる。すなわち、節の数と大きさによって等級が決まり、小節5つぐらいまでなら上桧、それ以上もしくは大節なら上疵または並木とされる。また、節の大きさでは、7寸以下なら下木、5寸以下なら並木とされている。なお、節以外にも、不具合があれば疵や並木としている。丸太の場合は曲がりも等級の判別材料となるが、節よりは許される要素であったようで、曲がっても節無しなら上木、節があれば下木とされた。値段については、よく流通する大きさの材が、ほかよりもやや安価な設定となっている。 史料が限られているため制限が多いが、今後より詳細な検討を行って、系統立った視点を得ることが課題である。
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