林政史関連史料から、近世の建築材料としての木材の生産状況を研究した。基本とした史料は、旧農林省の編集による『日本林政史資料江戸時代皇室御料公家領社寺領』(内閣印刷局内朝陽会、1933)で、江戸時代の皇室御料、公家領、社寺領の各項ごとに、他の資料を合わせて研究を行った。 皇室御料では、黒田村に慶長年中から商業資本が参入していた。また、大嘗会関連の用材生産に関する寸法と材種・斫木量の詳細が明らかになった。「皮付丸太春具(すぐ=直ぐ、か)なるを伐出し可申事入念」とあるのが注目された。18世紀中頃の黒田村山林と鷲峯山・山科郷の林相も推測できた。 公家領では、二條家領の杉山の様子が知られたが、他の公家領の詳細は不明で、今後の課題となった。 伊勢皇大神宮領の史料からは、盗伐対応を含む山林管理関係史料から、領内林相が推測できた。また、18世紀の早い時期から育林施業がなされ、停止木の制定など、木曽山林の林政改革との時期・内容の関連が伺えた。 賀茂別雷神社領では18世紀後半に育林施業が始まった。また、古木倒木を入札にかけたり、京都材木屋仲間に板木を売るために京都木挽を山林内に入れたり等の商活動があった。遷宮用材を自前で賄っていたことが、樹種や本数から観測でき、その詳細が知られた。 日光東照宮領では19世紀後半の林相が判明し、目通りの平均が求められ、大樹が豊富であったことがうかがえた。 延暦寺領では、上質の板材の産出状況が判明した。しかし、用木や立木売買には厳しい制限が設けられていた。 園城寺領では、元文五年(1740)の修理用材が産出され、その具体的な状況が判明した。 金剛峰寺領では修復用材の記録が散見され、幕末には大量の丈物(丈四材=1丈4尺材)が伐木されていた。 以上より、公領もしくはそれに近い性格の領地の木材生産は、近世においても私的な性格を残した荘園的なものであったようであった。そのなかで、払い下げや請山といった商活動に関連する木材生産も散見された。また各領地の林相の概要も推測できた。今後は、各造営事項の記録の補完によって用材の動向をより詳細に検討すると共に、その背景にある領主的生産と市場経済の関係を明らかにしたい。
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