ピロリ菌の分泌蛋白CagAは細胞内でSrc/Ablファミリーキナーゼによってチロシンリン酸化を受け、様々なシグナル分子と結合し、細胞増殖、細胞運動、細胞死など多様な細胞応答に関与する。CagA陽性のピロリ菌が感染した上皮細胞では、本来、細胞-細胞間の接着部位にアンカーされているβ-カテニンが高頻度に核内に蓄積する。通常、細胞質内のβ-カテニンはユビキチン・プロテアソーム系によって速やかに分解される。種々の分子生物学的解析によって、CagAによるPI3K/Akt経路の活性化はβ-カテニンを安定化させることが示唆された。CagAは自身のチロシンリン酸化に依存してPI3Kの触媒サブユニットp85と結合した。しかしながら、宿主内でリン酸化されるチロシンをフェニルアラニンに置換したリン酸化耐性CagA変異体も依然としてPI3K/Akt経路の活性化、その下流のβ-カテニン/TCF経路およびNF-κB経路の活性化を誘導可能であった。そのため、CagA内にリン酸化チロシンとは別に何らかの生物学的活性を示す構造があり、それがPI3K/Akt経路の活性化に寄与する可能性が考えられた。β-カテニン/TCF経路への影響などを指標に種々のCagA変異体を精査した結果、CagAのリン酸化非依存活性を担うCRPIA配列(CRPIA: conserved repeat responsible for phosphorylation-independent activity)を同定し、アラニンスキャニング法によって必須アミノ酸を同定した。このアミノ酸に変異を持つCagAを発現するピロリ菌は、PI3K/Akt経路の活性化能が低下しており、菌感染で誘導される炎症性サイトカインの産生が劇的に減少した。以上の結果より、ピロリ菌の病原因子が宿主シグナル伝達系を攪乱し、胃粘膜に増殖、炎症反応を惹起する新たな分子機構の一端が明らかとなった。
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