レトロウイルス科ベータレトロウイルス属に分類されるjaagsiekte sheep retrovirus(JSRV)のエンベロープタンパク質は、癌遺伝子産物として機能することにより培養細胞をトランスフォームし、また宿主であるヒツジ個体内で肺癌を誘導する。また、JSRVとアミノ酸レベルで相同性のあるenzootic nasal tumor virus(ENTV) のエンベロープタンパク質もJSRVと同様に、培養細胞をトランスフォームするが、ヒツジ個体内では鼻腔内腫瘍を誘導する。自然宿主内での腫瘍発生部位はJSRVとENTVでそれぞれ異なるが、免疫不全マウスにおいてはどちらのエンベロープも肺癌を誘導することが報告されており、JSRVとENTVの宿主病原性は非常に類似していることが示唆されてきていた。ラット上皮細胞株を用いたトランスフォーメーションアッセイにおいて、MEK、mTOR、Ras、及びRaclに対する特異的阻害剤が、JSRVエンベロープによるトランスフォーメーションと同程度にENTVエンベロープによるトランスフォーメーションも効率よく阻害したことから、どちらのエンベロープもRas/MEK/MAPK経路、PI3k/Akt/mTOR経路、及びRac1を活性化して細胞をトランスフォームすることが示唆された。またこれまでに、JSRVエンベロープチロシン残基Y590変異体は、培養細胞株をトランスフォームする活性を失うことが報告されており、Y590を含めたエンベロープ細胞内領域のトランスフォーメーションにおける重要性が示唆されてきていた。野生型ウイルス、及びY590遺伝子に変異を導入したウイルスゲノムを持つウイルスをそれぞれヒツジに接種した結果、野生型ウイルスでは肺癌が誘導された一方で、Y590変異体ウイルスでの肺癌誘導は観察されなかった。したがって、Y590を含めた細胞内領域の重要性がin vivoにおいて初めて確認された。以上の結果から、JSRVエンベロープはその細胞内領域を介して複数のシグナル伝達経路を活性化し病原性を発現しているという当初の仮説は妥当であり、更に肺癌発症の分子機構を検討する目的で、現在JSRVエンベロープ細胞内領域に直接結合する分子を同定中である。今後得られる情報は、ENTVエンベロープによる病原性発現機構と比較検討する上でも重要であると考えている。
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