(1)19世紀中葉の「大改革」に、ロシアの教員集団が、自らの専門職者としての地位をどのように確立しようとしたのか、その戦略の解明を目指した。研究の結果、ロシアの教員集団は、西欧諸国の専門職者のように国家から自律的な集団として自らを規定し、その発展をめざしたのではなく、むしろ、古い身分制社会から自律的であるために、半ば官僚として国家行政機構のなかで保護されながら専門職者としての地位を確保しようとしたことを明らかにした。この研究成果によって、ロシアの教員集団は、(1)古い身分制社会と対立関係にあったこと、(2)自らの使命を古い身分制社会を変化させることにあると考えていたこと、(3)それを実現するために、国家からの保護を必要としたこと(国家官吏としての地位を確保し、国家行政機構内に専門職者集団の団体組織を形成しようとしたこと)、などを明らかにした。これらの成果は、変化のエージェントとしての教員集団が、国家と社会に対してどのような考え方をもっていたのかを明確した。この成果は英文論文としてActa Slavica Iaponicaに掲載された。 (2)また、『歴史と地理』には、上述の研究成果を、西欧の19世紀史というより大きな文脈のなかで再検討する論考を発表した。そこでは、専門職者といったような近代社会を構成する要素は、ロシアでは、実際には古い専制体制によって生み出され、専制君主の国家機構のなかで保護されながら発展していったことを指摘した。そして、旧体制ロシアの特長は、西欧諸国が産業革命と市民革命によって政治・社会制度を激変させている時代に、自らの体制を維持したまま柔軟に近代化に対応していった点にある、という観点を提示し、19世紀ロシアの近代化の特質を解明する第一歩とした。
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