研究概要 |
19年度の研究は、『ユリシーズ』の文体の問題を主軸とし、その成果を、次年度に予定されている、他の主要作品との言語・文体面から見た連関性を探る研究への括弧たる布石とすることを課題とした。ジョイス的言語、文体が、『ユリシーズ』のテクスト上に具体的にどのように現れているか探るべく、テクストの精読作業を研究の基礎とし、その言語現象が作品世界と形成する有機的な関連について詳細な考察を行った。研究実施計画で触れた、ジョイスのテクストの重要な特徴である「クロス・レファレンシャル・ダイナミズム」を念頭に、line,airなどといった一見単純な語から広がっていくテクスト上のウェブを丹念に追うことで、大変興味深い発見があった。こうした細かい発見から導かれる考察を、19年度は国内学会2つにおいて発表することで、多くの有益なフィードバックを得ることが出来、今後一層考察を深め、学会誌に発表していくための基盤が整った。また、国内学会の参加、発表だけでなく、海外での資料収集による収穫も大きく、研究実施計画で触れた米フィラデルフィアのローゼンバッハ図書館に出向き、『ユリシーズ』の重要な手書き草稿の精査を行い、作者の癖や、作品テクストのみからは知覚しえない細かい書き込みから、作者が作品に仕組んだ意図を探ることができた。以上のような研究成果において特筆すべきは、近年の研究においてとかく看過されやすい具体的な言語モチーフを漏らさず拾い上げることで、細部の新たな読みが提供できるのみならず、作品全体にも新たな光を当てることができることである。それにより、誰もが認めるところでありながら、どこか漠然としたままであるジョイス言語の革新性という問題に、あくまでテクスト精読に基づいた、具体的かつ説得的な証拠を提供し、誤謬にとらわれがちな批評的クリーシェから脱することを現今の学界に迫ることが出来る、という意義を持つ。
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