本研究は、細胞性粘菌の自発運動(外部入力なしでの細胞運動)と走性応答(外部入力下での細胞の方向性運動)に注目し、実験から得られる1細胞運動時系列データの統計力学的な解析並びに定量的なモデリングを行うことにより、細胞情報処理系における自発的ダイナミクスや揺らぎの機能的意義を探ることを目的としている。これまでに、野生型細胞の発生過程の進行に伴う自発運動の遷移解析から、細胞が生長期では食餌行動に、飢餓状態では集合行動に、それぞれ機能的に適した運動パターンを示すこと、それらを一般化ランジュバンモデルにより定量的に説明できることを明らかにしており、本年度はその結果を論文で報告した(H. Takagi et al.2008)。また、情報伝達経路や運動機能に異常のある複数の変異体株細胞での自発運動や走電性応答のデータ解析を行い、細胞由来の揺らぎの性質の変化や振動的なダイナミクスの顕在化、及び応答方向の変化について検討した(結果の一部はM. J. Sato et al.2009に含まれる)。更に、外部入力下での細胞の走性応答が、自発運動の変調により実現される可能性を検討する為、野生型細胞の走電性応答のデータ解析とモデル化を行った。その結果、自発運動を記述する一般化ランジュバンモデルの速度記憶項に加法的な電場依存性を持たせることにより、走電性実験の結果を定量的に再現することに成功した。この運動速度の記憶項は、細胞の運動が揺らぐ度合を特徴づける指標となっているが、野生型細胞の記憶強度は、細胞が環境変動に対して最も効率よく応答できるように最適化されていることを明らかにした(H. Takagi et al. in preparation)。以上の結果は、細胞の自発運動が細胞情報処理において機能的意義を果たしていることを示すと共に、そのダイナミクスの分子基盤に関する理解の増進につながるものである。
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