古典的な日本政治の研究は、国家官僚や巨大企業、そして保守政治家といったアクターの相関関係、政治的な力学関係に注目したものが多かった。近年の日本研究は、他国に比較して見えにくいものの、確かに存残する市民社会に起因する社会変化に注目するようになっている。多くの研究は、小さな市民社会団体の政治的活動(例えば移民政策、国際開発や老人介護)に注目しているが、長期に渡る「民主化の実践」や組織的差異に注目したものもある。このプロジェクトでは、経験研究をベースに日本の市民社会の「二重構造」に注目する。片方には、身近な生活の支援を行うための、多様な市民社会運動グループが存在する。もう一方には、これらと時に重なり合うが、しかし基本的には別枠の、政治的唱道も行う少数の運動グループが存在する。1970年代以降、日本の社会運動は低調化したことが知られているが、これは上記のような二重構造の分断によるものと目されている。このような社会運動の構造について、特別研究員はピエール・ブルデューの「界」概念を手掛かりに、日本における社会運動の来し方行く末を分析しようと試みた。 我々はこのような問題意識に基づき、こうした界を形成し、また反映するメディア議論の分析を行っている(進行形なのは,このJSPS特別研究員としての期間が中途で終わったため分析を続行しているためである)。もう少し具体的には、近年の日本における社会運動の再興のきっかけともなった東日本大震災後の社会議論を把握するバックグラウンドとして必要となる、社会における、原発事故の「責任論」の有り様を分析している。より具体的には、日本の新聞3紙(『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』)を皮切りに、英語圏での報道、ドイツ語圏での報道との比較を通じて、日本における「責任論」の特異性を描出しようという試みである。
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