研究課題
電子対形成による超伝導を記述したBardeen-Cooper-Schrieffer (BCS)理論を拡張して、粒子間引力を強くすることで分子化した束縛対のBose-Einstein凝縮(BEC)につながるBCS-BECクロスオーバー理論により、量子束縛状態の統一的理解に向けた枠組みが構築されつつある。本研究では、我々がクロスオーバー領域にあることを見出したFeSe系超伝導体について、熱力学的性質や磁気トルクの精密測定、およびミューオンスピン緩和による磁場侵入長測定により、マルチバンド系でのBCS-BECクロスオーバーの特徴的性質を明らかにすることを目的としている。今年度は、FeSeのSeサイトを等電荷のSで一部置換した一連の単結晶試料を用い、比熱および磁気トルクによる熱力学的な測定を行った。その結果、置換量17%で電子ネマティック秩序が消失するとともに、超伝導の性質が大きく変化することを明らかにした。特に、超伝導転移温度付近の比熱の振舞いが、高置換領域で揺らぎが非常に増大したボーズ凝縮的な温度依存性を示すことを明らかにした。この結果は磁気トルクによる超伝導揺らぎの定量的な評価からも裏付けられた。さらに、低温の超伝導状態における状態密度の振舞いも低置換領域とは大きく異なり、高い残留状態密度が存在することがわかった。通常のシングルバンドのBCS-BECクロスオーバー理論では、超伝導ギャップの大きさとフェルミエネルギーの比が大きいほどBEC側に近づくことが期待されるが、S高置換によりこの比はむしろ小さくなることから、上記の結果は通常の理論では説明できない振る舞いである。これは、今まで考えられてこなかったマルチバンド電子構造の効果の重要性を示唆しており、特にバンド内相互作用とバンド間相互作用の相対的な強弱が、BCS-BECクロスオーバーの振舞いに強く影響する可能性を提示した。
2: おおむね順調に進展している
本研究の対象物質であるFe(Se,S)の単結晶は、高品質化が可能であると知られている化学蒸気輸送法を用いており、特に高置換の試料はサイズが比較的小さいものしか得られていない。そこで、比熱の測定には通常の市販の測定系に比べ桁違いにバックグラウンド熱容量の小さい測定セルを用い、長時間パルス緩和法による多量データ解析を行うことによって、数百マイクログラム級の試料での測定が可能である。このような微小試料の測定の利点は、巨大試料でよくみられる置換量の分布の問題を低減できることである。このような測定により、電子ネマティック秩序が消失する置換量での急激な変化を明確に示すことができた。さらに、磁気トルク測定においても、マイクロカンチレバーによる高感度測定をベクトルマグネットとの組み合わせて、微小試料による超伝導揺らぎの定量評価を可能にした。さらに、共同研究により、走査型トンネル顕微鏡を用いたスペクトロスコピー測定を行い、比熱の結果とコンシステントな結果を得ている。今まで理論的には、BCS-BECクロスオーバーについては、ほぼシングルバンドを仮定した解析しか行われていないが、今回のマルチバンド系の結果は、今までの取り扱いでは不十分であることを明確に示している。これらは国際的にも大きな注目を浴びている問題である。現在、これらの結果を論文にまとめ、国際雑誌に投稿し、査読中である。以上より、おおむね順調に進展していると判断する。
Fe(Se,S)超伝導体の最新の理論的研究では、BEC領域に近づいている高置換領域で、ボゴリウボフ準粒子がフェルミ面を持つ全く新しい超伝導状態が実現している可能性が指摘されている。これを受けて、Fe(Se,S)系超伝導体の高置換領域の超伝導状態を明らかにするために、さらなる実験研究を推進する予定である。現在注目しているのは、極低温下での比熱測定およびミューオンスピン緩和(μSR)の測定である。まず現在ヘリウム3温度まで可能な精密比熱測定を希釈冷凍機温度にまで拡張し、より低温での比熱測定を可能とすることを目指す。これにより、残留状態密度のより定量的な評価を行い、ボゴリウボフ・フェルミ面が存在するかどうかを明らかにする。また、提案された新しい超伝導状態が実現するための条件として、超伝導状態において時間反転対称性が破れていることが必要であるため、その検証のためのμSRの実験を行う。ゼロ磁場μSRでは、内部磁場の発生を敏感に検知することが可能であるため、超伝導状態において内部磁場が発生しているかどうかを明らかにすることで、時間反転対称性が破れているかどうかを直接的に検証する。また、磁場中μSR測定により、磁場侵入長の絶対値評価が可能となり、常伝導状態におけるフェルミ面から期待される電子数のうちどの程度が超伝導電子となっているかを定量評価し、ボゴリウボフ・フェルミ面の存在を明らかにする。さらに、熱力学測定として比熱と相補的な磁化率測定を極低温下で可能とするため、磁場勾配下でのトルク測定のシステムを立ち上げ、絶対零度付近の比熱と磁化率の両面からこの超伝導状態の特徴を明らかにるす。
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すべて 国際共同研究 (5件) 雑誌論文 (5件) (うち国際共著 5件、 査読あり 5件、 オープンアクセス 2件) 学会発表 (14件) (うち国際学会 11件、 招待講演 14件) 備考 (1件)
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