本研究と並行して行われた別のプロジェクトにおいて実施したシカン遺跡の三次元モデリングの結果にもとづいて、ポマ森林歴史保護区内にて踏査を実施したところ、アルガロボの密林の下で広範囲にわたって埋もれていた、都市ともいえる建築構造が明らかになった。シカン遺跡はこれまで、レチェ川北岸の祭祀ピラミッド群(“バタングランデグループ”)での調査の結果にもとづいて「祭祀センター」であったと特徴づけられてきたが、さらにその北方に15平方キロ以上にわたって、巨大なマウンド群とそれらの間を埋める農地のような空間が広がっていることが明らかになった。農地と思われる空間は、畔のような低い盛り上がり(5-15cm)によって細胞上に区画されていることがわかった。二重の畦は水路である可能性が示唆される。続いて行った試掘において年代を示す遺物を見つけることはできなかったが、農地であったことを検証するための土壌サンプルや利用された年代を明らかにするための炭化物サンプルなどが採取された。 これと並行して、前年度の調査においてその正確な位置が明らかになったワカ・ファチョでの発掘を実施した。ワカ・ファチョは、上述した巨大マウンドのひとつであるファチョ=マヤンガ複合の一部である。楕円形のマウンドであるワカ・ファチョは盗掘による被害が著しい(おもにその頂上部と南側基部)が、その被害を免れた南西斜面に発掘区1を、北東斜面に発掘区2を設置した。発掘区1では予想を上回り、形成期からチムー期に至るきわめて長い居住痕跡が明らかになった。また、形成期の建築は儀礼的に埋葬されたこともわかった。発掘区2ではモチェ後期からシカン期にかけての居住痕跡が確認されただけでなく、かつてモチェとワリの折衷様式である壁画が見つかった建物の詳細が明らかになった。ミドルホライズンにおけるモチェからシカンへの移行期の詳細を明らかにする手がかりが得られた。
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