研究課題/領域番号 |
19H01351
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研究機関 | 公益財団法人中近東文化センター |
研究代表者 |
松村 公仁 公益財団法人中近東文化センター, アナトリア考古学研究所, 研究員(移行) (60370194)
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研究分担者 |
山本 孟 同志社大学, 神学部, 日本学術振興会特別研究員(PD) (90793381)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ビュクリュカレ遺跡 / アナトリア / ヒッタイト時代 / カールム時代 / 中期・後期青銅器時代 / 地名考証 / 交易網 |
研究実績の概要 |
この研究は発掘調査、地中探査調査、文献研究の3つの研究から構成され、ビュクリュカレ遺跡の地名考証を通して前2千年紀前半の交易網のエーゲ海地域への広がりを検証するものである。 1.発掘調査:松村公仁を中心とした発掘調査は2019年5月から6月にかけて実施した。遺跡の歴史を解明するため、城塞頂上部の以下の3地点において発掘を行った。a) 北端部:出土した印章により、新たに確認した建築遺構が紀元前13世紀頃のヒッタイト帝国期後半に年代付けられ、これによりさらなるヒッタイト帝国時代層の存在が明らかとなった。b) 中央部:カールム時代からヒッタイト時代初頭にかけて居住され焼失した大型建築遺構の調査を継続し、世界最古に年代付けられるガラス壺が出土した部屋を含めて調査範囲を拡大し発掘を行った。c) 城壁部:後期鉄器時代の城壁の外側を掘り下げ城壁の構造、築造方法を明らかにした。その際、築造時の埋土からは大量の前2千年紀の遺物が出土したが、中でも当該遺跡において初のフリ語楔形文字粘土板文書片が出土したことが特筆される。 2.地中探査:2008年の表採調査の結果から都市は都市壁内に限定されていたと推測されたが、2019年5月、熊谷和博を中心に都市の南西部、都市壁の外側地域において磁気探査調査を実施したところ、大型の建築遺構群を検出した。 3.文献研究:当該遺跡の立地、歴史に適合する都市を文献から絞り込み都市名の解明を試みているが、当該年度は現地にてMark Weedenが、出土したフリ語楔形文字粘土板文書の解読、研究を行った。夏には研究分担者である山本孟が現地に滞在、ヒッタイト遺跡を訪れた。その後、当該遺跡の古代都市名候補のうち、ドゥルミッタとネナッサに言及するヒッタイト語の文書を収集し、それらの史料をもとに、両都市の歴史や地勢、宗教行政と宗教施設について考察した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
1.発掘調査:当該年度の調査では多くの印影等の遺物が出土したが、出土遺物を整理したところその中からヒッタイト王あるいは女王の印鑑とされる匿名タバルナ/タバナンナ印章の2つ目の印影が出土した。さらに10年に及ぶ調査で初めてフリ語楔形文字粘土板文書の破片が出土した。アナトリアでフリ語の文書はヒッタイトの首都ボアズキョイ、もう一つの首都とされるオルタキョイ、さらに重要な古代都市サムッハと同定されたカヤルプナルという3つの重要な遺跡でのみ出土しており、当該遺跡で出土した意義は大きい。 2.地中探査:都市構造を理解するため、都市壁の外側において磁気探査調査を実施した。その結果、都市壁の外側には居住していなかった、という従来の考え方を覆すことになった建築遺構群を確認した。その中には長さ30mを超える大規模な建築物も存在しており、これらの遺構群の性格を把握することが今後の課題である。 3.文献研究:当該年度はビュクリュカレ遺跡の古代都市名候補のうち、ドゥルミッタとネナッサに言及するヒッタイト語の文書を収集し、それらの史料をもとに、両都市の歴史や地勢、宗教行政と宗教施設について整理しながら、同遺跡との関連づけを試みた。この研究に関連する出版物としては、ヒッタイトの領土と国境に関する論考を発表した。さらに、当該年度出土したフリ語楔形粘土板文字の解読、評価研究が行われたが、このようなフリ語宗教文書の出土は、当該遺跡がかつて宗教的に重要な意味を持つ都市の一つであった可能性を示唆するものであり、本研究の目的である、遺跡の古代名同定において大きな手がかりを提供する。
これらの調査研究成果は3月に予定されていた第30回トルコ調査研究会で報告予定であったが、コロナウィルス感染防止のため延期となった。
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今後の研究の推進方策 |
古代都市の性格を明らかにし、古代都市名を同定するために調査・研究を進める。 1.発掘調査:城塞部での調査では引き続き都市の歴史を理解するため発掘調査を継続する。特にヒッタイト帝国時代における都市の歴史解明に努める。また昨年遺構が確認された遺跡南西部、都市壁外側においての試掘調査許可が下りたため、都市部の調査を初めて行う予定である。これにより、都市部の居住年代を明らかにし、都市の歴史を正確に把握することが可能となる。また都市壁外にある建築群の機能を理解することで、都市構造の理解を深める。 2.地中探査:都市構造を理解するため、都市壁の外側の地中探査を南西部から北西部にかけて実施し、都市の広がりの把握に努める。特に西門の存在する地域においては、都市から続く道の痕跡が確認されており、その続きを調査する。 3.文献研究:当該年度の考察結果を踏まえて、出土遺構や遺物とも照らし合わせながら地名考証を進めていきたい。また、他の候補都市についても検討する。フリ語粘土板文書についての研究もさらに進める。これまでアナトリアで出土したフリ語文書はビュクリュカレ遺跡出土のものを含むすべてが宗教文書であり、ヒッタイトはその歴史のなかでフリからの強い宗教的影響を受けたとされる。その影響はヒッタイト王権と強く結びついたフリ人の神々への信仰に見られる。この文書に関する研究を通して、ビュクリュカレ遺跡に存在した古代都市の新たな一面が浮かび上がると期待される。
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備考 |
招待講演:松村公仁「ビュクリュカレ遺跡発掘から見た前2千年紀アナトリア」2019年12月3日、Cukurova University, Adana, Turkeyにて 招待講演:松村公仁「ビュクリュカレ遺跡;10年の発掘調査」2019年12月11日、Haci Bayram University, Ankara, Turkeyにて
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