研究課題/領域番号 |
19H01351
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研究機関 | 公益財団法人中近東文化センター |
研究代表者 |
松村 公仁 公益財団法人中近東文化センター, アナトリア考古学研究所, 研究員(移行) (60370194)
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研究分担者 |
山本 孟 同志社大学, 神学部, 日本学術振興会特別研究員(PD) (90793381)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ビュクリュカレ遺跡 / アナトリア / 紀元前2千年紀 / アッシリア商業植民地時代 / ヒッタイト / 交易網 / 地名考証 / 中期・後期青銅器時代 |
研究実績の概要 |
本年度はCOVID-19の感染が拡大し、日本からトルコへの航空便の運航停止、渡航制限等が出され、調査の安全性が危惧されたため予定していた発掘調査を中止せざるを得なかった。そのためこれまでの発掘で得られたデータの整理、研究に活動の重点を置いた。 本研究の最大の目的の一つが、ビュクリュカレ遺跡の都市名同定であるが、一昨年度出土したフリ語楔形粘土板文書がきわめて重要な意義を持つ。文書の解読はロンドン大学、マーク・ウィーデン博士により行われ、この文書が典型的な宗教儀礼文書であることが明らかとなった。断片であるためかなりの部分が欠損しているが、いくつかの神の名、山、川等の名が一部だが残存している。これらの地名は地名考証を行う上できわめて重要であり、粘土板に記されている地理的環境を他のヒッタイト語文献と比較研究することで記されている地域を特定できる可能性がある。 一方でヒッタイトにおけるフリ語粘土板の出土例を見ると、ヒッタイト王トゥドゥハリヤI世の治政下に初めてフリ語粘土板文書が製作され、それは宗教儀礼に関連するものであり、その儀礼はヒッタイト王家のメンバーにより執り行なわれた。さらに、これまでフリ語粘土板文書はヒッタイト王国内ではハットゥーシャ、シャピヌワ、サムッハの3遺跡でのみ出土しているが、これらの都市はすべてヒッタイト王家が居住したとされる都市である。このような状況を考慮すると、ビュクリュカレ遺跡でフリ語粘土板宗教文書が出土したことは、この都市がヒッタイト王家と深い関係のあった都市である可能性が浮上してくる。この結果はビュクリュカレ遺跡の地名考証をする上できわめて重要な手がかりとなると期待される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は4月末から発掘調査を開始する予定であったが、COVID-19の感染がトルコ国内でも広まり始めた時期と重なり、この病気自体に対しどのように感染予防が出来るのかが不明だった上に、日本から現地トルコへの出国、トルコ入国の規制、航空便の運航停止等もあり発掘調査を中止することにした。そのため予定していた考古学的発掘調査が実施できなかったが、それに代わるものとして昨年度までに発掘で得られたデータの整理、研究、さらには次年度の発掘調査の準備に重点を置いて活動した。 発掘データの整理作業は、特に遺構図のデジタル化、層序分析、出土遺物の実測などのデータベース化作業を中心に行った。具体的には現場で取った遺構図面をつなぎ合わせて、コンピューター上でデジタルデータ化する作業と、発掘日誌、仮層シート、遺構図面、発掘区断面図といった発掘データを整理し、遺構間の新旧関係を明らかにするために発掘した層の新旧関係を図式化することで、遺跡全体を把握する層序分析作業であり、この作業は今後の遺物研究においての基礎データを提供する。 一方で次年度発掘調査に向け、調査効率化のため必要機材の調達を行った。「発掘した土の移動運搬」のため、ベルトコンベヤーの導入を計画し、日本製のものを参考に新たに設計から始めてトルコで製作した。また同じく発掘した土を発掘区から移動させるために用いているクレーンを、これまでのディーゼルエンジンから電動にすることで経費の節約を目指した。さらに、遺跡保護ために毎年発掘区にトタン屋根を掛けているが、その屋根を支える支柱をより迅速に組み立て、さらに堅固にするために鉄材の足場を購入した。
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今後の研究の推進方策 |
本研究では、今日までの地名考証研究によってアナトリア地域における主要な交易都市の相対的な位置関係が把握されていることに着眼し、ビュクリュカレ遺跡の古代名を同定することで前2千年紀前半のアナトリアにおける交易網を把握し、それがエーゲ海地域にまで広がっていたことを裏付けることを目的とする。本研究は、1.ビュクリュカレ遺跡発掘調査、 2.遺跡都市部の地中探査、3.楔形文字文献研究、の3領域で構成され、これらの研究をまとめ、最も妥当な古代都市名を導き出す。 1. 本年度ビュクリュカレ遺跡の発掘調査では地中探査で遺構が確認された都市部の発掘調査を行う。一昨年度の地中探査で、遺跡南西部、都市壁の外側に広がる建築遺構が検出され、都市が都市壁の外にまで広がっていたことが理解された。これらの建築遺構は前2千年紀前半のアナトリアにおける交易網が確立されたアッシリア商業植民地時代に属すると考えており、発掘により建築物の機能を探り、都市構造の理解に努める。 2. 地中探査については担当者の日程が合わず、実施は出来ないが、これまでの探査結果を精査し、都市構造の理解に努める。 3. 文献研究では、前2千年紀の楔形文字粘土板文書を用いた地名考証研究を通してビュクリュカレ遺跡の古代名の同定に努める。地名考証研究成果を発掘成果、たとえば火災層の年代と比較することなどで候補都市を絞り込む。一昨年度は宗教文書であるフリ語楔形文字粘土板文書が出土した。この種の文書は王家が執り行う宗教儀礼と関連しており、アナトリアではこれまでにヒッタイト王家が居住したとされる3遺跡でのみ出土している。ヒッタイトにおけるフリ宗教儀礼の研究からビュクリュカレ遺跡の新たな一面が明らかになると確信する。
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