研究課題/領域番号 |
19H01352
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研究機関 | 伊達市噴火湾文化研究所 |
研究代表者 |
添田 雄二 伊達市噴火湾文化研究所, その他部局等, 専門委員 (40300842)
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研究分担者 |
永谷 幸人 伊達市噴火湾文化研究所, その他部局等, 学芸員 (10844269)
青野 友哉 東北芸術工科大学, 芸術学部, 准教授 (60620896)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アイヌ民族 / 17世紀 / 環境復元 / 津波 / 噴火 |
研究実績の概要 |
(1)伊達市有珠地区のオヤコツ遺跡の発掘を行った。昨年同様、新型コロナウィルスの感染対策のため、最小限の人数で範囲を限定して行うこととなったが、柵列、畑跡。貝塚(貝集中)、焼土などを確認することができた。柵列は1663年Us-b上面で、打ち込み式の柱であり直径約6㎝の柱穴6本が約50㎝間隔で直線的に東西方向に並んでいることを確認した。畑跡はUs-bの下位で確認した。条の方向は東西方向に長く、1640年津波堆積物の上位にあることから1640~1663年と限定できる。17世紀のアイヌ民族の畑跡は有珠湾南岸域(ポンマ遺跡、有珠4遺跡、カムイタプコプ下遺跡)で明らかとなっていたが、今回初めてさらに南のエリア(オヤコツ遺跡)で明確に確認でき、アイヌ民族の畑跡がより広範囲に存在していた可能性を示すデータを得られた。貝集中は、アサリとイガイが集中する箇所とホタテガイが集中する箇所が存在した。炭化材の年代測定からは11世紀中頃~13世紀前半頃という値が得られた(暦年代)。焼土は40cm×40cmの範囲で検出した。17世紀よりも以前であるが遺物を伴わないため、時期は判然としない。比熱した土層中には微細な貝と魚骨破片が含まれていた。1640年津波堆積物下位からは、青銅製品1点と擦文土器の破片が数点出土した。土器の口縁部破片は受け口状に内湾する形状で、棒状工具による列点文が施され、頸部には横・縦に格子状となる沈線文が施されている。格子状の沈線文の下部には同心円状の圧痕のある隆帯がつくものと思われ、擦文後期の土器と考えられる。 (2)これまで遺跡出土ラッコ骨の同定は現生骨の標本が無かったために困難な状況であったが、オスの成獣の全身骨格模型を購入したことにより、同定と研究が飛躍的に進んだ。 以上の成果の一部は、東北芸術工科大学の紀要や伊達市噴火湾文化研究所のNews Letterで報告した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
予定していた遺跡出土ラッコの関する分析や地中レーダー探査が新型コロナウィルス感染拡大のため実施できず次年度へ延期したため。
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今後の研究の推進方策 |
(1)遺跡の直上を覆う1663年有珠山噴火の火砕サージ(高温・高速で山体を流下してくる火山噴出物)の残留磁化を測定して温度を推定し、当時の噴火が人々へ与えた影響を探る、(2)有珠地区や噴火湾沿岸の遺跡から出土するラッコ骨(千島ラッコ:現在は噴火湾に生息せず、より寒冷な千島列島で繁殖・分布)の年代測定と同位体分析、および古代DNA分析を行ってかつての生息域を検討し、環境およびアイヌ民族の生業との関係を探る、(3)噴火で埋没した畑跡の地中レーダー探査による検出を試みる。
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