研究課題/領域番号 |
19H01396
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研究機関 | 南山大学 |
研究代表者 |
渡部 森哉 南山大学, 人文学部, 教授 (00434605)
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研究分担者 |
長岡 朋人 青森公立大学, 経営経済学部, 准教授 (20360216)
澤藤 りかい 総合研究大学院大学, 先導科学研究科, 日本学術振興会特別研究員(CPD) (50814612)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アンデス / ペルー / 国家 / 帝国 / ワリ / 人骨 / 土器 |
研究実績の概要 |
20世紀半ばにペルー空軍によって撮影された航空写真を購入し、それを基に地図を作成した。Metashapeというソフトウェアによってペルー北部のヘケテペケ川中流域の当時の地形、遺跡の状態を復元した。その結果、2019年に発掘を始めたテルレン=ラ・ボンバ遺跡の南の部分が住居の建設活動によって消失したこと、また発掘区の北方向にある20世紀に整地された部分に元々建築物はなかったことが分かった。 9世紀から10世紀にかけてペルー中高地南部に位置するワリ遺跡を首都としたワリ帝国が台頭した。ペルー北部高地カハマルカ地方とペルー北海岸を結ぶヘケテペケ川流域に、ワリ帝国期の多くの遺跡が分布し、テルレン=ラ・ボンバ遺跡はその1つである。遺跡が再利用されたのではないため、それ以前からの連続性はなく、その後の時代にそのまま利用されたという証拠もない。つまりワリ帝国期の間に建設され、放棄された遺跡群と想定される。ヘケテペケ川を挟んで両側に遺跡が分布し、他の河川においてこのような状況は認められず、この地域の特殊状況である。それを理解するためには、ワリ帝国の直前に発達していた中央集権的な社会であるモチェ社会との関係を考慮する必要があるであろう。またワリ帝国の途中から製作が始まったチムー様式土器、シカン様式土器を使用した国がワリ帝国崩壊後に展開したこととの関連も考察する必要がある。中央集権的社会が連続的に発達したペルー北海岸はワリ帝国にとって戦略的に重要な場所であり、山地から海岸に下りる拠点となるカハマルカ盆地の状況を明らかにすることは、ワリ帝国そのものを理解する上で鍵となる。 現地で人骨の分析はできなかったため、日本に持ち出し手続きをしたエル・パラシオの歯のサンプル9点について、サンプルの歯石の状態を確認し、歯石が多く付着している5個体から歯石を採取し、DNA抽出を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2021年度の実施予定であったテルレン=ラ・ボンバ遺跡の第二次発掘調査を実施できなかったため。またエル・パラシオ遺跡の出土人骨の分析をペルーで行うことができなかったため。
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今後の研究の推進方策 |
テルレン=ラ・ボンバ遺跡の第二次発掘調査を実施する。また、エル・パラシオ遺跡出土人骨の形態学的分析を進め、人骨のサンプルの持ち出し手続きをして、日本で分析する。
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