研究実績の概要 |
人間の尊厳概念は、その内実が曖昧であるにもかかわらず議論を打ち切る強い力をもち、これによってバイオ研究の可能性が摘まれているのだから、この概念の使用を控えるべきだと非難されることがある(Birnbacher, 1996)。しかしまた、生命技術の猛進に歯止めをかけるのもこの概念であり、現代において手放されるべきではない(松田純、2005年)。こうした批判にたいする従来のカント研究の対応は、人間の尊厳概念を世俗的に理解し、具体的な行為指針を導出しようとするものだった。だが本研究のみるところ、むしろこうした解釈によってこの概念の内実が曖昧さを増し、規範性を失っている。 以上のような状況を踏まえ、本研究は今年度、「理念的・普遍的な人間の尊厳概念の豊かさの奪還」を目的として研究を遂行してきた。すなわち、(1)過度に世俗的な人間の尊厳解釈がかえって、その本来的な規範性を見失わせていること、(2)カントの人間の尊厳概念は普遍性・理念性を堅持しつつ、 しかしたんなる形式的な普遍性を意味しているのではないことである。(1)の遂行にあたって、現代カント研究の主流をなす人間の尊厳理解の論点の把握に努めた。この観点からカントの議論を検討することで、人間の尊厳概念が本来もっていた規範性が浮き彫りにされた。以上の成果を踏まえて(2)については、一方で人間の尊厳概念とカントの展開する死刑容認論とのかかわりを検討し、他方で生命倫理学上のアクチュアルな問題である重度の認知症患者への処遇についてカントの道徳哲学から引き出しうる示唆について考察を行なった。
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