研究課題/領域番号 |
19J12529
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
宮田 晃碩 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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研究期間 (年度) |
2019-04-25 – 2021-03-31
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キーワード | マルティン・ハイデガー / 和辻哲郎 / 石牟礼道子 / 語り / 言語 / 共同体 / 現象学 / 解釈学 |
研究実績の概要 |
本研究は「他者の語りを理解するとはどういうことか」という問いに取り組む哲学的探究である。この問いはともすると、他者の語った言葉をどのように文法的に理解し、その他者の内面を推し量るか、という問題を扱うもののように見えるかもしれない。だが本研究が中心的に扱うマルティン・ハイデガーは、より深い「語り」の現象を指摘する。それは個々の発話等に先立ち、それを可能にするような働きである。本年度は、この深い次元での「語り」の働きについていくつかの観点から具体的に考えるため、主に以下の三点について研究を進めた。(1) 和辻哲郎の「表現」「理解」概念の解明、(2) ナラティヴ・アプローチの実践的知見についての現象学的解釈、(3) 後期ハイデガーの言語論の検討と、それに基づく石牟礼道子『苦海浄土』の語りの解釈。 (1) ハイデガーの議論を批判的に継承する和辻は主著『倫理学』において、「間柄」という概念を軸に倫理学の体系を記述し、「個人」を出発点に据える典型的な西洋哲学に対抗する。この「間柄」概念がいかに彼の「表現」概念と連関しているかを検討した。これについて論文を執筆中である。 (2) アーサー・フランクは『傷ついた物語の語り手』において、語りおよびその理解がいかに病という現実を生きるにあたって重要であるかを論じている。その実践的な知見を、ハイデガーの「語り」概念に即して分析した。これついて論文を執筆中である。 (3) 後期ハイデガーは言語について主題的に論ずるが、それは言語学が資料として扱うような対象ではない。彼はむしろ、我々人間の語りを可能にしているような、予め我々に呼びかけているものを考える。この特殊な言語論が何を示唆するのか、我々自身の状況に置き移して考察した。具体的には『苦海浄土』の言葉をどのように受け取ることができるかという問題に取り組んだ。これについて学会発表を行い、論文として投稿した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初の計画の通り、(1) 「間柄」概念と「表現」概念の連関を検討し、(2) ナラティヴ・アプローチにおける洞察を現象学的に分析し、(3) 後期ハイデガーの言語論の応用可能性を探る、という課題を遂行し、学会発表および論文投稿を行うことができた。 とりわけ(3)の課題については、ハイデガー・フォーラム第十四回大会において、研究発表が「ハイデガー・フォーラム渡邊二郎賞」を受賞した。これは、本研究が日本のハイデガー研究にとって重要な成果をあげていることを示すだろう。 ここまでの研究では、個々の発話に先立つ深いレベルでの「語り」の働きについて、様々な観点から具体的に考察する道筋をつけることができたと言える。そうする必要があったのは、そのように示唆される「語り」の現象が、ハイデガーの『存在と時間』における記述だけでは漠然としており、捉え難いものだったためである。ハイデガーのテクストにのみ向き合い考察したのでは、概念に足をすくわれて事柄そのものへの考察が行き届かない惧れがあったためである。本年度の研究では、そのような「語り」について、個人に先立つ共同性の働きや、人が生の意味を捉える仕方といった観点から、肉付けして考えることができた。 しかし本年度の研究を踏まえてますます問題となってきたのは、そのような広がりをもつ「語り」の現象について、原理的に統一された仕方で捉え直すことである。そのためにあらためて、ハイデガーの「語り」概念を検討する必要が明らかになってきた。 このように、当初の計画を遂行しつつも、さらなる課題が明確になってきたことから、本年度は「おおむね順調に進展している」と言えるだろう。哲学研究において特に重要なことは、当初漠然と見定められていた問題が、より深く正確に見定められることだと考えられるが、そのことが達成できているのではないかと考える。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、昨年度の研究の論文化を進めるとともに、その成果を踏まえ具体的に以下の課題に取り組む。 (1) ハイデガーの「語り」ないし「ロゴス」論について検討し、その意義を明らかにする。主に参照する一次文献は『存在と時間』およびそれに前後する時期の講義であるが、後期の言語論への繋がりも視野に収める。ハイデガーが「語り」ないし「ロゴス」として論ずるものが、単なる言語現象ではなくそれを可能にする、根源的な「分節化」の働きであるということは先行研究でも着目されてきた。それは一つには「言語化以前に世界を何らか秩序だった仕方で理解している」という事態を指すものであるのだが、しかしそれだけではない。これは本年度の研究で既に具体的な現象として視野に収めた、共同性や生の意味、状況の解釈可能性といったことを可能にする条件だと考えられる。この検討を通じて、本研究は、ハイデガーの議論がどのように「言語」現象の本質を新たな形で示しているか、明らかにできると考える。 (2) ハンナ・アーレントにおける「言論speech」の意義について、ハイデガーの「語り」論との対照を通じて検討する。アーレントの「言論」についての議論は人間の「複数性」を強調するものであり、この点しばしばハイデガーへのアンチテーゼとして参照されるが、その議論の検討を経ることで、「語り」の現象についての考察をより深めることが目指される。 (3) 最終的には、以上で得た理論的洞察をもとに、再び実際の「語り」に向き合い、この洞察の深みがどのような理解をもたらすのか、それを確かめたい。ここで参照するのは再びナラティヴ・アプローチと呼ばれる実践の分野、および『苦海浄土』をはじめとする石牟礼道子の著作である。 これらの成果を学会発表および論文として発表し、最終的に博士論文へまとめる。
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