研究課題/領域番号 |
19J14469
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
石川 典子 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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研究期間 (年度) |
2019-04-25 – 2021-03-31
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キーワード | マルロー / ヒューマニズム / 悲劇性 |
研究実績の概要 |
「悲劇的ヒューマニズム」から「束の間の人間」へと向かうマルローの人間についての思想を明らかにする本研究において、本年度は、マルローにおけるヒューマニズムについての理解を深める一年となった。「悲劇性」をめぐって二つの側面を併せ持つ彼のヒューマニズムが、「悲劇性」を乗り越えて「不可知論」を最後の審級として置く晩年のマルローの思想にどのような影響を与えているのかを明らかにするため、本年度は論文1本、国際シンポジウムでの口頭発表を1本行なった。 前者の論文は、小説家時代と晩年の間に位置するマルローの政治家、文化大臣としての活動に、いかなるヒューマニズム的側面が見出せるのかという問いのもと、小説家や行動人として活動した戦前から、政治家・芸術論者として活躍した戦後の間に、マルローの思想の断裂を見るのではなく、むしろその連続性を確認しようと目指したものである。フランス国立図書館などに保管されている政治家としての議事録、ディスクール集を丹念に読み解くことで、その目的を果たせたように思う。 フランス語で行なった後者の口頭発表は、1946年に行なわれた講演「人間と文化」において「悲劇的ヒューマニズム」という言葉を用いて表現されるマルローのヒューマニズム思想について、それとほぼ同時代に発表された、公刊された中では最後の小説となる『アルテンブルクの胡桃の木』を中心に、彼における「悲劇性」の概念を改めて問い直し、思弁的な本作品中で暗示されるニーチェやパスカルを参照軸としながら再考したものである。その領域横断的な活動ゆえに分散しがちなマルロー研究の意義を、包括的に理解する上で重要となる核心として、「悲劇的ヒューマニズム」という概念を提示できたのではないだろうか。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、概ね計画通りに研究が進んだと言える。ルネサンスからアンチ・ヒューマニズム、ポスト・ヒューマンの思想に至るまでの西欧ヒューマニズムの歴史の中で、マルローの「ヒューマニズム」をどのような位置付けとして捉えることができるのか。このような大きな問いのもと、様々な一次資料に当たることで、本課題に直結する先行研究に存している問題点を「悲劇性」という概念を介して改めて策定することができた。 個人としての近代的主体のあり方に疑問を持ち、現代の「悲劇性」のうちに個人主義に陥った人間の限界点を見出しながらも、人類の文化遺産への執着を示し、遺産継承者として数々の文化政策を打ち出したマルローの「ヒューマニズム」は、「人間とは何か」という根本的な問いに基づくものであった。「悲劇的ヒューマニズム」という彼の表現には、マルローの人間についての思想を構成する二つの側面、悲劇性とヒューマニズムの、矛盾を孕みつつも分かち難く結びついた二つの関係性が見出だされる。 以上の点を、論文1点、国際シンポジウム1点において、明らかにした。ここで得られた研究成果は、今後の本課題の主軸となると確信を持つことができる。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、マルローの「悲劇的ヒューマニズム」思想をより理解するために、「悲劇性」の概念の理解を深めていきたい。とりわけ、シェストフやクレモン・ロッセの「悲劇性」に関する哲学、20世紀フランス文学における「悲劇性」の諸相について『新フランス評論』の分析を通じて研究を進め、マルローを20世紀フランスの思想・文学史的な文脈のうちに総合的に位置付けることを目指していく。 また、「悲劇性」と「ヒューマニズム」という、マルローの人間についての思想を構成する二つの側面が、『沈黙の声』や『神々の沈黙』といった芸術論の大著にどのように現れているのかを明らかにする。その前提として、『サチュルヌ ゴヤ論』の分析は忘れてはならないように思われる。
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