研究課題
本年度は、微小試料に特化した磁場角度回転比熱測定システムを構築・運用し、キタエフスピン液体の低エネルギー励起に関する研究を行った。近年理論的に提案されたキタエフ模型では、磁気秩序を伴わないスピン液体状態が基底状態として出現し、スピンの自由度が分裂してマヨラナフェルミオンと呼ばれる特異な統計性を持つ準粒子が現れる。本研究では、このキタエフスピン液体状態を実現しうる候補物質のうち、ハニカム構造を持つ磁性体α-RuCl3に注目した。ほぼすべてのキタエフスピン液体候補物質は低温で磁気秩序を示すが、この物質で現れる反強磁性相は、ハニカム面に平行な磁場を印加することで抑制できる。この特徴のために、α-RuCl3は、キタエフスピン液体状態における低エネルギー励起の性質を調べることのできる希有な系といえる。α-RuCl3におけるマヨラナ励起の出現を熱力学的観点から検証することを目的とし、α-RuCl3単結晶試料に対する磁場角度回転比熱測定を行った。キタエフスピン液体におけるマヨラナ励起のギャップは外部磁場の方向に対して顕著な変化を示すことから、比熱の異方性を通じてマヨラナ励起の出現を検証できるものと考えられる。実験に際しては、微小試料に対する精密測定に適した長時間緩和比熱測定系をピエゾ回転子上に配置し、超伝導マグネットと併用することで、100マイクログラム級の微小試料に対する磁場角度分解比熱測定を可能とした。この装置をα-RuCl3単結晶に適用し、温度、磁場強度および磁場角度を系統的に制御したうえでの測定を行った。その結果、キタエフスピン液体で理論的に期待される振舞いと一致する顕著な異方性が観測された。理論的には、このギャップの異方性はマヨラナ励起の持つトポロジカル数の変化に伴うものと考えられ、キタエフスピン液体におけるトポロジカル量子相転移現象を解明するうえで重要な発見であるといえる。
2: おおむね順調に進展している
まず熱力学測定系の開発に関しては、微小試料の精密測定に特化した長時間緩和法を用い、100マイクログラム級の微小試料に対する磁場角度回転比熱測定を可能にした。この装置では、温度・磁場強度・磁場角度の三つの物理量を独立に制御した系統的な測定を、微小単結晶試料に対して行うことができ、量子磁性体の低エネルギー励起の異方性を研究するうえで強力である。とくに、キタエフスピン液体系では、異方的な交換相互作用がフラストレーションを生み、スピン液体状態が実現することから、そこで現れる準粒子励起はその異方性を色濃く反映し、低エネルギー励起の異方性に決定的な情報が含まれる。例えば、この系のもつ有限のチャーン数は磁場の方向に応じて符号変化し、励起ギャップが複雑なノード構造を持つことが要請される。これまでに、この装置をキタエフスピン液体候補物質α-RuCl3に適用し、マヨラナ準粒子励起の検出に関して肯定的な結果を得ている。実験から見積もられた励起ギャップの角度依存性は特徴的な六回対称のノード構造を示し、キタエフスピン液体状態におけるマヨラナ励起ギャップの特徴と一致する。これはα-RuCl3の高磁場相においてキタエフスピン液体状態が実現することを示唆する熱力学的な証拠であるとともに、この系の持つチャーン数の反転に伴うバルクギャップの変化をとらえた初めての観測例であると考えられる。以上に述べたように、開発した測定装置を運用して重要な結果を得ていることから、本研究は順調に進展しているものと判断する。
平成31年度の研究では、α-RuCl3のハニカム平面内で磁場を回転させ、磁場角度に対する低エネルギー励起の異方性に関する研究を行った。今後の方針の一つとして、これまでの同一平面内での磁場角度制御を拡張し、三次元的に磁場方向を制御したうえでの精密熱力学測定を可能とし、キタエフスピン液体系に適用することが挙げられる。近年の理論研究ではキタエフ相互作用以外の交換相互作用は、主にハニカム面外に磁場が向いているときに低エネルギー励起に影響を与えるということも指摘されていることから、ギャップノードの三次元的構造を実験で明らかにすることで、キタエフスピン液体への非キタエフ相互作用の影響を評価することが可能となると期待される。この研究に際しては、従来用いてきた長時間緩和比熱測定系に加えて、ギャップノードの存在に対して敏感であると期待される磁気トルク測定も導入し、比熱測定と同一の微小試料に対する測定を可能とすることを計画している。
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