近年、理論的に提案されたキタエフ模型では、基底状態でも磁気秩序を伴わない量子スピン液体状態が現れることが厳密に示されている。この、いわゆる「キタエフスピン液体状態」では、スピンの自由度が分裂してマヨラナフェルミオンと呼ばれる特異な統計性を持つ準粒子が現れるなど興味深い現象がみられるとともに、トポロジカル量子コンピュータへの応用も期待されることから注目が集まっている。 本研究では、キタエフスピン液体状態を実現しうる候補物質として、ハニカム磁性体α-RuCl3に着目して研究を進めてきた。初年度は、微小試料に特化した磁場角度回転比熱測定システムを構築・運用し、α-RuCl3の低エネルギー励起に関する研究を行った。また、次年度の研究では、初年度の結果を踏まえ、電子線照射によって結晶欠陥を導入したα-RuCl3に同様の手法を応用した。本年度は、これらの研究のうち、特に初年度の結果について成果をまとめ、学術論文誌に投稿することに注力した。 本研究では、α-RuCl3単結晶のハニカム平面と平行に磁場をかけ、その角度を変えながら比熱を測定した。その結果、この物質の低エネルギー励起が強い磁場角度依存性を持つことが見い出された。比熱の温度依存性から見積もられた励起ギャップは六回回転対称なノード構造をもっており、ギャップの大きさは磁場とともに増加することが明らかになった。 理論的には、キタエフスピン液体は磁場下で有限のトポロジカル数を持ち、その符号は磁場の方向に応じて変化する。この符号反転が起こる磁場角度では、基底状態と励起状態のエネルギーギャップが閉じることが期待され、これは本研究の結果とよく一致する。 この結果は、近年のα-RuCl3における熱ホール効果の観測で示唆されたエッジ状態の出現とも整合するものであり、両者の結果を比較することで、この物質におけるバルク・エッジ対応が見て取れる。
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