研究課題/領域番号 |
19J20636
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研究機関 | 國學院大學 |
研究代表者 |
高橋 亮一 國學院大學, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2019-04-25 – 2022-03-31
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キーワード | 海洋 / 領海 / 海獣猟 / 生物保護 / 国際法 / 日露関係 / 日米関係 |
研究実績の概要 |
【研究成果の具体的内容】 平成31年度は、北海道と東京において日本語・英語・ロシア語の文献や史料を収集し、そこで得られた情報をもとに学会報告を行った。これにより、1867年から1905年までの日本における海への認識や、海洋政策の展開過程を明らかにすることができた。明治初期の日本における海洋政策は、外国人によるラッコ・オットセイの密猟対策からはじまったものの、場当たり的な対応にすぎなかった。明治中期頃になると、治外法権に阻まれて外国人密猟者を摘発できず、密猟対策は行き詰まりを見せたため、海獣保護の国際的な潮流に乗じた漁業権の拡大と千島列島経営の強化に方針を転換していく。当時の日本政府は、漁業と猟業を同一視し、海獣保護を名目とした漁業の操業範囲の拡大を試みていた。臘虎膃肭獣猟法(1895年)や遠洋漁業奨励法(1897年)といった日本の急速な法整備は、その試みの表れであり、北方海域における英米露の漁猟を圧迫していった。海(領海と公海)がボーダーレスな空間であったがゆえに、日本はラッコ・オットセイという生物を利用して海洋進出を実現したのである。
【研究の意義・重要性】 本年度の研究により、日本における海洋進出が、場当たり的なものから海洋政策へ体系化されていく過程を明らかにすることができた。これは、日本近代史における海の位置づけを考察するための第一段階として、ボーダーレスな海における日露英米4ヶ国の動きを分析して得た成果である。日本における海の位置づけを明らかにすることは、現在の日本を取り巻く海の国際環境に歴史的な視点を提供することにつながる。次年度では、法学的な視点から日本における国際法の受容と運用に注意を払いつつ、1905年以降の日本の海洋進出について研究していきたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成31年年度は、本研究の時代設定(1867~1911年)のうち、4分の3にあたる部分、1867年の露米会社解散に伴う北方海域における権力の空白化から、1905年ポーツマス条約によって日本が漁業権をロシアから許与されるまでの約40年間を検討することができた。これらは4本の論文として執筆し、1本を学術雑誌へ投稿した。本年度はこの4本文の内容を学会報告することに集中したことから、文章化に時間を要してしまった。しかし、当初の計画では、研究1年目は学会や研究会での研究報告に集中する予定であったことから、本研究は順調に進展している。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究では、1905年以降の時代を取り扱う。ポーツマス条約に基づき、日本は1907年にロシアと第一次日露協約と日露漁業条約を結び、勢力圏の分割を行った。日露漁業条約は従来の研究では日露間の漁業権の再定義に焦点を当てているが、海の勢力圏分割という側面を看過している。この点を、南樺太における日本の漁業の展開過程とともに再検討し、日露戦後の日本における海洋政策の形成過程を明らかにしなければならない。これらは、大正・昭和期に形成された「北洋」の起源の解明や、北守南進論における「北守」の再評価につながり、ひいては日本の海洋政策の意義づけを問うことにつながる。 この方針で研究するにあたり、当時の日本における海の国際法の受容と運用を、日本の海洋政策に関連づける必要がある。海は近代法が確立された19世紀以降においても、前近代的な曖昧さを残す部分と、近代的な法に基づいて管理する部分とが混在している。日本政府は1870年の普仏戦争における局外中立宣言をもって海の慣習国際法を受容した。そのような情勢を当時の日本政府がどのようにして対処したのかを明らかにしなければならない。今後の研究では海洋法と国際法を扱う先行研究を確認し、それらを歴史的に検討する作業を行っていく。
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