研究実績の概要 |
本研究は、現代のイスラーム思潮を特徴づけるサラフ主義(イスラームの伝統的な学問伝統に批判的再考を促し、初期イスラーム共同体に回帰することを志向する思想運動)の理論的基盤を古典イスラーム学文献に探求することを目的としている。本研究ではこれまでスンナ派の神学と伝承学における教友(サラフを構成する最初期イスラーム教徒で、主に預言者ムハンマドの生前の弟子たち)の描写に着目してきたが、採用2年目からは法(理)学の分野における教友の法学説の権威と役割に関して、特に後代の法学者との権威関係に着目して古典イスラーム法理学の基礎理論を探求した。 ガザーリー(Abu Hamid al-Ghazali, d. 1111)は晩年の法理学書で述べた「[スンナ派の]信仰箇条において教友を賛美することの義務は彼らの法学説に従うことを義務付けるわけではない」と述べている。しかし、教友の学説が規範的判例として後代にも拘束力を有すると考えているスンナ派法学者も存在することが、ガザーリーと同じくシャーフィイー派の法理学者で、同論題に関して法理学史上初めてのモノグラフを残している14世紀のアラーイー(Salaf al-Din al-'Alai, d. 1359)の著作から明らかとなった。 教友の学説が生前の預言者の時代の啓示の「生き証人」の学説として後代の学者の法学説よりも優先して採用されるべき拘束性や規範性を有するか否かに関しては(*アラビア語ではhujja、先行研究における英語ではbindning authority/proofと対応する)、実はスンナ派4大法学祖の時代から現代まで議論される伝統的法理学論題となっており、現代においてもいまだに法学者の見解が分かれる争点の1つでもあり、冒頭で示したサラフ主義の法学実践の理論的基盤に直接関わる論題であることが明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
古典的作品における「サラフ主義」的描写(=イスラームの伝統的な学問伝統に批判的再考を促し、初期イスラーム共同体に回帰することを志向する思想)を分析するために本研究は当初、ガザーリー(Abu Hamid al-Ghazali, d. 1111)を分析対象の筆頭としていた。というのも、彼は晩年において外来の学問や術語を用いた「理性主義的」イスラーム思弁神学の隆盛を批判し、初期信仰共同体(サラフ)の原初的な宗教実践に回帰することを訴えていたからである。 しかし、採用初年度で扱った神学の文献とは別に、最晩年に書かれた彼の法学書を紐解くと、後代の法学者と教友(=サラフの第一世代で主に預言者の弟子を指す)の権威関係に関してはガザーリーが一概に教友の権威を支持しているわけではないことが明らかとなった。むしろ彼は神学(=スンナ派の信仰箇条)における教友への賞賛や賛美が法学における教友たちの学説の規範的権威の形成に結びつくべきではないとまで明言していることが本年度の研究の転機となった。 ガザーリーがこのように法学における教友の権威(とそれに伴う彼らの学説の後代への拘束性)に慎重な姿勢を示す背景には、彼と同時代、また彼の先行世代において既に、預言者の啓示体験や宗教活動を直接見聞きした教友の法学説が後代の法学者の法学説よりも優先されるべきと考える思想が存在していたことが窺える。 本年度では、これら法(理)学における教友(の学説)の権威の肯定と否定の思想史を詳細に検討したアラーイー(Salaf al-Din al-'Alai, d. 1359)の著作を研究の主眼に据えた。彼はイスラーム法学の先行研究では十分に注目されていない人物であるが、同論題に関するイスラーム法学の「理性主義」と「権威主義」を考察する上で欠かせない思想家である。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究の推進方策としては、イスラーム法学における教友の権威に関する論考を残している先述のガザーリー(Abu Hamid al-Ghazali, d. 1111)やアラーイー(Salaf al-Din al-'Alai, d. 1359)を基点とし、特に彼らの属するシャーフィイー派における同論題に法理学史を探求することが挙げられる。 そもそもなぜアラーイーが法理学史上初めて同論題に関する体系的な考察(=教友の学説が法源となるか否かの法理学的論題とそれに付随する各論)を残しているのかも思想史的背景として考察する必要がある。 これには、彼の活動した14世紀におけるシャーフィイー派以外の学者による「イスラーム法学における教友の権威」の再考が関係していると考えられる。例えば、アラーイーと同じくイブン・タイミーヤ(Ibn Taymiyya, d. 1328)を師とする14世紀のハンバル派を代表するイブン・カイイム(Ibn Qayyim, d. 1350)は、教友の権威を否定する傾向にあるシャーフィイー派の法理学思想を批判している。したがって、アラーイーは自分の属する法学派に対するこれらの批判を認知した上で同論題に関するモノグラフに取り組んだ可能性も想定される。 また、アラーイーの少し後の世代に同じくシャーフィイー派を代表する法学者であるザルカシー(Badr al-Din al-Zarkashi, d. 1392)も、教友の権威を単に否定するだけで済ます彼の師のイスナウィー(d. Jamal al-Din al-Asnawi, d. 1370)とは異なり、教友の学説の法源性に関して師とは倍以上の分量の考察を残している。今後はアラーイーと合わせてザルカシーも研究の対象に加え、教友の学説の法源性の有無に関する法理学の議論に付随する各論(タクリード論やタフスィース論)も研究対象となる。
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