本年度は、鄭玄の礼学説を特徴づける天子宗廟説を取り上げ、緯書および『偽古文尚書』との関係を考察した。 先行研究では、鄭玄の三礼注は『周礼』が基準となっているとされてきた。一方で鄭玄説が緯書の影響を受けていることも指摘されている。しかし鄭玄説における『周礼』と緯書の関係は、未だ十分に解明されていない。そこで、鄭玄の天子宗廟説を取り上げ、『周礼』と緯書の位置づけを考察した。その結果、鄭玄説の核心部分は実質的に緯書によって構成されており、鄭玄は緯書等の諸文献によって体系化した自説を表現する手段として『周礼』注の形式を用いたと考えられることを指摘した。また、鄭玄の天子宗廟説と『偽古文尚書』との関係について考察した結果、東晋において奏上された『偽古文尚書』は、鄭玄説を否定し、王粛説と合致する内容であったが、『偽古文尚書』奏上とほぼ同時代の虞喜は、『偽古文尚書』の記事を事実と認定している。しかし、虞喜は王粛説の立場に立つ者ではなく、追服に関しては鄭玄説を採用している。虞喜は天文学において緯書と相容れない安天論を提唱していることから、緯書に対する批判的研究が、緯書の影響を受けていない『偽古文尚書』の採用につながったと考えられることを指摘した。 本研究課題では、期間全体を通じて鄭玄礼学の以下の特質と影響を明らかにした。第一に、鄭玄の礼学や歴史観の中心には緯書が位置づけられていた。第二に、曹魏明帝期に影響力を強めた鄭玄説を批判した王粛の立場は、父の王朗から継承されたと考えられる。第三に、王粛と同様の立場は何晏『論語集解』などに広く見られ、それは鄭玄説の緯書の影響や非現実性に対して反対する立場をとるが、鄭玄説を全否定するのではなく、緯書の影響を排除しようとしたものであり、その試みは、『偽古文尚書』とその孔安国伝に継承され、当時の科学的研究が緯書を相対化したことによって受容されたと考えられる。
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