本年度は、研究課題の中、「儒家の倫理学説」に関する研究を進め、『孟子』に見える楊墨批判を研究対象とした。本研究では先ず、兼愛説と為我説とについて、『孟子』『墨子』『呂氏春秋』等の記載を再検討した。その結果、それら記載には、利益の有無を基準とする思考様式が共通して認められることを指摘した。次いで、「利」および利益や効率に対する孟子の問題意識を分析した。その結果、戦争の抑止に関する『孟子』の記載には、①利益の獲得と危害の回避とが行動原理として習慣化することは、目的の是非を反省する契機を欠くこと、②またかかる思考様式では、他者に対する危害行爲を抑止する行動原理には発達し得ない、とする問題意識が確認できることを指摘した。次いで、四端説に関する記載や、「愛無差等」の語が見える記載を分析した。その結果、「ジュツ惕惻隱」「~の所以に非ざるなり」「忍びざる」「爲に~するに非ず」「中心、面目に達す」「誠」といった表現には、③利害の有無に対する考慮とは全く異なる行動原理が追求されている様相について、検討を加えた。本研究は更に、④「身」「愛」「養」「利」といった用語に着目し、『孟子』の記載を再検討した。その結果、これら用語が兼愛説や為我説のみならず、『孟子』においても、その基本思想を表明する重要概念となっていることを指摘し、そこには、⑤自己および他者について、これを「我」「身」の一語で一括せず、人間の尊厳の所在を根本から問い直す思想が認めらることを指摘した。以上の知見から、楊墨批判の要と目される⑥「無父」「無君」という語は、局所的な社会制度の問題としてではなく、人間の尊厳に関する孟子の基本思想との関連でこれを解釈すべき、との見解を提示した。
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