研究課題/領域番号 |
19K00112
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研究機関 | 国士舘大学 |
研究代表者 |
菱刈 晃夫 国士舘大学, 文学部, 教授 (50338290)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 巡察指導書 / 法の価値 / 自由意志 / メランヒトンの書簡 / コロサイの信徒への手紙注解 |
研究実績の概要 |
1528年の『ザクセン領内教会巡察指導書』略して『指導書』では、メランヒトンにおける律法の三用法すなわち①政治的用法、②神的用法、③教育的用法の意義と重要性が説かれるが、前年度に引き続き、さらにこれら律法や法のもつ価値、そして自由意志を強調せざるをえない社会的および思想的背景について、より明確にした。ドイツ語で公にされた『指導書』の底本となるラテン語原典にも分け入り、当時の様子をリアルに伝えるメランヒトンの書簡にも目を通すことで、内外の背景をより鮮明に浮き彫りにすることができた。巡察に当たる現地から友人等に宛てた書簡には、メランヒトンの実体験を通じた、当時の一般的な説教の内容が端的に伝えられている。それは単なる「罪の赦し」だけを説く短絡的なもので、道徳的かつ倫理的にも深刻な退廃を招いているとされる。 次に、『巡察書』のラテン語底本の解明をも通じて、メランヒトンにおける律法と悔い改めと救いのダイナミックな「教育的」構造を明らかにした。『巡察書』が「学校について」で締め括られるのも、メランヒトンの教育的意図をよく表している。 最後に、こうした考えの基礎にある自由意志の思想的背景について、『コロサイの信徒への手紙注解』を資料として明らかにした。 メランヒトンが、こうした思想の集大成として1543年の『子どものカテキズム』に結実させるまでの歴史社会的かつ思想史的なプロセスについて、当時の現実状況との密接な関わりに着目しながら、できるだけ丹念に明確化した。 律法や法による道徳主義に陥るのではなく、そもそもカテキズムが目指す教育の核心は、人間の「心の純化」にあることが再確認された。思想史的な見通しからすると、これは後に敬虔主義を経由して、カントへと伸びていくことが示唆される。なお前年度と同様、あわせて関連するメランヒトン原典からの翻訳も進行中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今回、わが国で初の紹介ともなるメランヒトンの膨大な書簡の内容については(資料入手も含めて)まだかなり検討の余地が残されているものの、『指導書』のラテン語底本の解読と連動させることで、『子どものカテキズム』に至るまでの過程が、ある程度は浮き彫りにされた。 とはいうものの、より詳細な解明に着手するには、さらなる文献および資料の収集と解読が必要とされるが、コロナ禍により十分な活動が妨げられつつある。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの経過をふまえて、メランヒトンは1540年代に入り、『子どものカテキズム』にて、自身の神学的な教育思想をひとまず完成させる。が、かつてのアグリコラとの論争を想起させるがごとく、またもや律法やその他のトピックを含めた論争が生起してくる。 『子どものカテキズム』成立までの過程、そしてこの内容や構造について、明確にしつつ詳しく検討を加えていきたい。 あわせて関連するメランヒトン原典からの翻訳作業も継続する。
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