これまで崇高の美学がファシズムの政治やファシズム表象との関係性から論じられることは稀であり、その考察は十分に行われてこなかった。本研究の取り組みによって、崇高の美学の研究に新たな見解と解釈の道を切り拓くことができたと考える。 また、今日の政治には、ポピュリスムやアンチ・グローバリズムの傾向において、新たな全体性と中心の創出への要求が認められるが、その際には崇高の感情が利用されることもある。研究はそうした状況に対し美学と政治の連携のひとつのパターンを顕在化することによって、その連携の危険と兆候を示し、今日の状況に対処するためのひとつの手がかりを提供しえたと考える。
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