最終年度の2023年度には、編著書『日常のかたちー美学・建築・文学・食』を4月に筑波大学出版会より出版した。この中に発表した論文「足の跡、手の跡、息の跡ーリチャード・ロングの彫刻における消散」では、リチャード・ロングの「歩行作品」にみる芸術としての歩行と、日常的行為としての歩行との重なりを追究し、ロングの彫刻が消散する意味を、日常を織りなす不完全性の美学との関連から考察した。同論文ではまた、ロングの歩行作品のほか、ロングが自らの手の跡をつけるマッドワークについても考察した。 2023年8月にイギリスで実施したリチャード・ロング作品に関する調査も踏まえ、ロングに関する2本の英語論文をアメリカの学術雑誌(査読付き)に投稿し、いずれも受理された。これらの論文は2024年度に刊行される予定である。2本の論文のうち1本は、ロングが制作する彫刻・テクストワークを、場所と場所の「あいだ」で制作される作品として捉え、「あいだ」の意味について考察している。他の1本は、ロングが彫刻に多用する「石」がロングの歩行や作品に及ぼす作用について考察している。ロングにとって石は、コモンなものでありつつ、世界の流動を示し、素粒子物理学の理論も反映するものでもある。 研究期間は新型コロナウィルスの蔓延時期に重なったが、「足跡の芸術ーロングの歩行作品における「消散」と「不完全性」の美学」に関してイギリスや日本国内での調査を実施し、成果を編著および英語論文として発表することができた。ロングが歩行中に出会った場所で、その場所にある石や木を用いて制作する彫刻は、やがては形を失い、消散する。本研究では、このような永続性を目指さないロングの歩行作品と「不完全性」の美学を接続し、瞬時に場所と場所を繋ぐネットワーク社会において身体として自然の中に生きる人間存在の意味と、現代社会が喪失した「あいだ」の意味を再考した。
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