本年度は昨年度に引き続き、対話的・協働的芸術実践における美的経験および美的価値についての理論的な洞察を深めるため、現代の英語圏の哲学的美学、具体的にはニック・リグルによる二つの議論、すなわち、ストリートアートの定義と、倫理的-美的価値としての「awesome」の分析を検討した。リグルはストリートアートを、人々の生活の空間としての「ストリート」を素材とすることが内在的価値を持つ芸術として定義している。またリグルは、やはり人々の生活の空間において規範や役割から逸脱して個性を他者に示すことを「社会的開放」と呼び、これが他者によってやはり「社会的開放」を通じて受け入れられるという、「社会的開放」の相互享受の倫理的-美的価値に「awesomeness」という名称を与えており、その事例には「リレーショナルアート」や「ダイアロジカルアート」などの芸術実践によるコミュニティの形成も含めている。 こうした議論をふまえると、対話的・協働的芸術実践は、生活の空間と「アートワールド」の接触と交渉のプロセスとして理解することが可能であり、さらに、「awesomeness」の理論からは、対話的・協働的芸術実践に参画している人々だけではなく、プロジェクトを観察し評価する主体も「社会的開放」を実践することが求められることが理解される。 こうした検討をふまえたうえで現在は、対話的・協働的芸術実践の理論と、「芸術の美的体制」の理論の比較を総括することに取り組んでいる。まず、ジャック・ランシエール「芸術の美的体制」の理論にとって発想の源泉の一つであるシラーの美的自由の議論について、対話的・協働的芸術実践の理論における受容との比較検討を行っている。また(まだ構想段階にとどまるが)、「芸術の美的体制」の理論のもう一つの源泉として、19世紀のフランスの労働者の知的・芸術的活動の研究についても分析を行うことを計画している。
|