研究課題/領域番号 |
19K00165
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研究機関 | 尚絅大学 |
研究代表者 |
三浦 知志 尚絅大学, 現代文化学部, 准教授 (20583628)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 新聞マンガ / 親爺教育 / アイルランド人表象 / 日刊アサヒグラフ |
研究実績の概要 |
1910年代米国「親爺教育」のエピソード約2000話について、米国議会図書館のデジタルアーカイブ「Chronicling America」を用いて調査し、その掲載紙と掲載日、エピソードの内容を確認するとともに、『日刊アサヒグラフ』における「親爺教育」各エピソードとの照合を行った。 1913年に開始された「親爺教育」は、1915年頃からほぼ毎日新聞に掲載されるようになった。また、連載開始から数年のうちに、主人公ジグスが造形的に備えていたアイルランド的な記号が薄れていった。具体的には、連載最初期におけるジグスの低く傾いた額や大きなあご、禿のある後頭部やパイプといった19世紀のユーモア雑誌に見られるアイルランド人男性の記号が、数年後にはジグスがシルクハットをかぶることによって覆い隠されるようになった。たしかに、ジグスの妻マギーとの対立は、19世紀ユーモア雑誌の「シャンティ・アイリッシュ(粗暴で大酒飲み)」と「レースカーテン・アイリッシュ(上流を気取るのに熱心)」の対比を想起させるものの、一方でこの二人はスラップスティックのプレイヤーでもあり、劇場におけるコメディを彷彿とさせることが確認できた。「親爺教育」は総じて、労働者階級の友人との付き合いを重視し、上流階級や妻マギーに対して反抗的であるジグスが、どのような結末を迎えるのか(マギーに制圧されるのか、それともマギーを出し抜くのか、あるいは和解するのか)を楽しむマンガである。 1923年4月に始まる『日刊アサヒグラフ』の「親爺教育」翻訳掲載についていえば、1923年5月上旬頃までのエピソードは、米国では1918年頃のエピソードであること、また、1923年5月中旬~8月のエピソードは、米国では1922~23年のエピソードであることがわかった。日本の「親爺教育」に描かれるのはつまり、アイルランド人表象が薄れた姿のジグスである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
デジタルアーカイブ「Chronicling America」による、1910年代米国「親爺教育」の調査自体は概ね予定通り進行しているが、エピソード数が膨大なため、それらの内容を分析・考察し、論文の形にするのに多少手間取っている。もっとも、次年度には形のある成果を出せるものと思われる。1920年代日本における翻訳版「親爺教育」(『アサヒグラフ』)の調査についてはやや遅れている。具体的には、関東大震災後の『週刊アサヒグラフ』における「親爺教育」について、米国新聞掲載エピソードとの照合が済んでいない。また、麻生豊のマンガ「ノンキナトウサン」と「親爺教育」との関係についての考察も遅れている。 研究の遅れはひとえに、1910年代「親爺教育」の調査結果をまとめるのに時間がかかりすぎていることによる。個々のエピソードは調べれば調べるほど新たな論点が生まれ、その都度先行研究の吟味を行ってしまい、その割に思うほどの成果を得ることができなかった。調査を切り上げるタイミングを誤ってしまった感は否めない。
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今後の研究の推進方策 |
上述のように、『週刊アサヒグラフ』における「親爺教育」について、米国新聞掲載エピソードとの照合が済んでいないが、この照合を全て確認するとなると、1920年代の米国掲載分について調査を行わなければならない(『日刊アサヒグラフ』に翻訳掲載されたエピソードの大半がすでに1920年代に米国に掲載されたエピソードである)。遂行するには非現実的な課題となるため、『週刊アサヒグラフ』調査については範囲を1923年のみに限定し、以後の研究につなげたい。 また、「ノンキナトウサン」と「親爺教育」の比較検討については、「親爺教育」が成金キャラクターの物語であるのに対し、「ノンキナトウサン」は無職ないし日雇い労働者キャラクターの物語であるため、両者を比較する視座として「労働」という主題がふさわしいと感じている。このふたつのマンガを取り巻く文化全体の状況を記述するには至らないが、少なくともその一端を明らかにして本研究を終えたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
引き続き、必要に応じて先行研究の購入に充てる。
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