内間安セイ(1921-2000)と内間俊子(旧姓:青原、1918-2000)は稀有なアーティストの夫妻として、それぞれ独自な造形世界を展開させた。アメリカ生まれの内間安セイは日本留学中に建築を学ぶ傍ら、美術への関心を深め、やがて版画家として活躍するようになる。俊子は、はじめ画家の小磯良平に学び、その後はデモクラート美術協会のメンバーとして油彩画やオブジェなど多彩な制作を行った。彼らの存在がユニークなのは、そういった各々の優れた創作活動によるものだけでない。その活動がアメリカを拠点として展開されたために、第二次世界大戦後のアメリカにおける日本版画ブームに一役買い、日本の美術家たちの渡米後も支援するという、国際交流の要として大きな役割を果たしたことにある。 本研究は、内間安セイと俊子の創作活動をたどりながら、二人を中心に展開された1950年代から60年代頃の日米の美術交流の一側面を明らかにしようとするものであった。 5年目にあたる令和5年度は、コロナ禍の影響がほぼなくなり、海外渡航の道も開けてきた。しかし、研究代表者の勤務先での業務との関係から、渡米は断念せざるを得なかった。その間に、移民と美術をテーマとする展覧会「トランスボーダー」(和歌山県立近代美術館)が開催され、調査できたことは有意義であった。これまでのアメリカに渡った近代画家といった文脈を超えて、明治期以降の移民文化そのものにも焦点を当てるもので、本研究にとっても示唆に富むものであった。 研究の成果の一つとして、内間安セイと俊子の展覧会を開催することを目指していたが、上述の通り渡航調査が困難になったこと、また輸送費の急な高騰及び歴史的な円安の影響で、既定の事業予算額での展覧会の実現が難しくなくなったため、本研究もここでひとまず終了することとした。将来、新たに条件が整った時には、別の視点を加えて改めて再開したい。
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