研究課題/領域番号 |
19K00174
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研究機関 | 文星芸術大学 |
研究代表者 |
田中 久美子 文星芸術大学, 美術学部, 教授(移行) (70222114)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | フォンテーヌブロー派 / ジャン・クルーエ / フランソワ・クルーエ / フランソワ一世 |
研究実績の概要 |
フォンテーヌブロー派における北方絵画の影響が本研究の目的である。2020年度は北方出身の画家クルーエ父子を中心てして調査・研究をおこなった。まず父ジャン・クルーエはフランソワ一世のもとで初めての肖像専門の画家として活躍し、数々の肖像画を生み出した。彼の肖像画は、16世紀のフランス美術における肖像表現の規範となり、この時期のフランス肖像画の形式を確立した。ジャン・クルーエが手掛けた肖像画にどのように北方絵画がかかわっているかのか、そして何をフランス絵画にもたらしたのかについて、他の北方やイタリアの画家たちと比較しながら、具体的に調査・分析を行った。この成果を「変容する肖像画―ジャン・クーザンの肖像画を中心に」(『ネーデルラント美術の宇宙―ネーデルラント~地中海世界、パリ、そして神聖ローマ帝国へ』(北方近世美術叢書V、ありな書房、117-166頁)に発表した。 次いで、ジャン・クルーエの息子フランソワ・クルーエについて調査を行った。フランソワも父を引継ぎ、宮廷画家として宮廷人の面々を描き出した。クルーエ親子が描き出した肖像画は通常ひとくくりにされ、両者の差異に言及されることは少ない。本研究では、フランソワが父クルーエから何を受け継いだのか、また、父ジャンとの差異は何か、あらたに何をフランス美術にもたらしたのかについて考察した。フランソワは父が確立した肖像画の定式を受け継ぎ、連綿と宮廷の面々を描き続け、フランスの肖像画の系譜を補完した。その一方で、父の手法を一段と推し進め、肖像に物語性や寓意性を付与し、新たな局面を開き、フォンテーヌブロー派は輻輳の度合いをいっそう深めていったのである。フランソワ・クルーエについては、『文星紀要』32号(「変容する肖像画―ジャン・クルーエからフランソワ・クルーエへ」35-55頁)に報告書を掲載した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の目的は現地での調査、資料収集を大きな目的としていた。2020年度は申請時には2回のヨーロッパ調査旅行を計画していたが、コロナウイルス禍のため実行することがかなわなかった。
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今後の研究の推進方策 |
フォンテーヌブローに変わって芸術活動の中心地となるパリでの北方の画家たちの活動とその芸術の成果を体系的に調査し、フォンテーヌブローの芸術活動との関係を視座に入れつつ、この時期のフランスの芸術的傾向の生成に果たした役割を考察するのが今年度の目的である。 2019年、8月26日から9月2日までフランスで現地調査を行い、パリで活躍した北方画家の作品を収蔵している教会(Saint-Merry, Saint Etienne du Mont他)やエクアン城などで作品の撮影を行いデータの収集を行った。2020年度はコロナウイルス禍で現地調査は断念せざるを得なかったが、今年度は現地調査を再開する予定である。北方画家たちの作品データ、文献資料を現地で収集し、調査する。パリの諸教会、ルーヴル美術館やナンシー美術館などが現地調査の対象である。 また、フランス人による初めての裸体表現である≪エヴァ・プリマ・パンドラ≫で知られるジャン・クーザンは、活動の初期にパリで創作活動を展開しており、タピスリーやステンドグラスの下絵制作など多彩な活動を展開し、彼の手に帰される素描や版画も数多く存在する。現地調査をもとに作品データを収集すると同時に、北方の画家たちが活動するパリの芸術状況、およびフォンテーヌブローで展開された芸術がクーザンに及ぼした影響を明らかにしたい。収集した資料はデータベースとしてまとめる。 今年度は本研究の成果を報告書にまとめたいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
2020年度に海外調査旅行を計画していたが、コロナ禍のために実践することができなかった。現在もコロナ禍の状況は予断を許さないが、調査旅行が可能な状況になれば実行するつもりである。本来、2020年の予定していた旅行を2021年に繰越し、可能ならば二度の調査旅行を考えている。フランス(パリ、フォンテーヌブローを中心に)が中心になる。データベースを充実させたい。 また2021年度は科研の最終年度である。調査旅行が可能な状態であれば、その調査の結果も踏まえた報告書を作成するつもりである。
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