研究課題/領域番号 |
19K00176
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研究機関 | 実践女子大学 |
研究代表者 |
仲町 啓子 実践女子大学, 文学部, 教授 (80141125)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 絵師の存在形態 / 落款 / 款記 / 印章 |
研究実績の概要 |
当初の計画では室町時代から江戸時代にかけて時代を追って落款と印章の資料を収集し、考察を加えてゆくつもりであったが、研究を遂行してゆく過程で、全体像を常に念頭に置きつつも、特定のテーマごとに通史的に考察してゆくことのほうが有効であると気付き、その方法を採ることにした。 今回注目した1つは、中国の青銅器の形を模した印章である。早い例としては能阿弥(1397-1471)が《白衣観音図》(と文化庁蔵)で使用した「秀峰」の朱文鼎印がある。不思議なのは、その図の右端には「応仁弐年六月日為周健毛髪於泉涌寺妙厳院図之真能七十有二歳」(1468年6月、72歳の能阿弥が、子息・周健喝食のために泉涌寺の妙厳院において図した)という長い款記とともに「真能」朱文方印が捺されており、「秀峰」印はまるで遊印のように左下隅に捺されていることである。ただその印形・印字ともに「真能」印より遙かに洗練されていて美しい。能阿弥がこの印章を使用した意図には今のところ不明ではあるが、今後考察を深める必要がある。ただ、狩野正信(1434?-1530?)がその印章を真似て「正信」白文鼎印を使い始めたことは確実と思われる。その印形・印字ともに拙劣であり、しかも落款もなく、印章だけが捺されている。この違いは画工的な存在であった正信に対して、能阿弥は文人的な素養を持った知識人でもあったことを示している。落款印章はふたりの絵師としての存在形態の違いをまさに象徴的に物語っているといえよう。その後、正信の子・元信以下の狩野派絵師たちはより形の整った鼎形印を継承するが、江戸初期に狩野派のあり方を「一変した」と言われる探幽になると用いなくなる点も意味深い問題である。 室町末から江戸初期の禅僧らが愛用した青銅器形印や江戸時代に散発的に現れる青銅器形印の資料もかなり博捜したので、青銅器形印の文化的意味に関しても通史的に考察する。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
進め方の順番はやや変えてはいるが、全体量に対する研究の進展具合はおおむね順調と言える。
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今後の研究の推進方策 |
青銅器形印章の資料の博捜を継続するとともに、印章の共用や継承の具体例に関する資料も充実させる。さらに印譜などの印を記録する文化の登場とそこに込められた価値観の考察も深める。その他の内容については研究計画書に記した通りである。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルスのため、予定していた調査が不可能になったが、今年度は昨年度できなかった研究調査や図書の購入を行う。
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