研究課題/領域番号 |
19K00183
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研究機関 | 佛教大学 |
研究代表者 |
大西 磨希子 佛教大学, 仏教学部, 教授 (00413930)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 則天武后 / 舎利 / 儀鳳 / 涅槃変相図 |
研究実績の概要 |
2019年度は、則天武后による儀鳳年間の舎利頒布事業に関する研究と、武周期の涅槃変相図に関する調査を行った。 敦煌写本S.2658とS.6502の『大雲経疏』には、長安・光宅坊での舎利感得が奇瑞として記されるほか、則天武后による八百四万もの舎利塔建立の発願が説かれている。これについて、従来、則天武后の舎利頒布事業は、八万四千塔を建てたとされる阿育王の事績に擬えたものと考えられてきた。しかし、阿育王は転輪聖王のうち最下位の鉄輪王とみなされており、則天武后は自らを最上位の金輪王として、阿育王を遥かに凌ぐ存在と位置づけており、『大雲経疏』の八百四万という舎利塔の発願数もそれを意識した数であることを指摘した。 また、中国考古学において則天武后は金棺銀槨という中国式舎利容器の創始者と考えられており、武周期の延載元年(694)の涇州大雲寺の舎利容器を最古の例として、以後、中国各地で棺槨式舎利容器が出土している。従来は、こうした新形式の舎利容器がどのような経緯で全国に流布したのかについては論究されることがなかった。しかし、梵境寺『大唐聖帝感舎利之銘』によれば、則天武后による儀鳳の舎利頒布によって、〓(サンズイ+路)州では儀鳳三年(678)四月八日に舎利供養が行われ、その際に棺槨式舎利容器が用いられたと考えられる。この舎利頒布が則天武后によって主導され、その対象範囲が天下諸州に及ぶことからすれば、儀鳳年間の舎利頒布事業が契機となって槨式舎利容器が全国に広まったのではないかと考えられることを指摘した。 武周期の涅槃変相図については、現存する二例の現地調査を行った。2019年7月には中国山西省太原市において蒲州大雲寺涅槃変碑像を実見し、銘文を中心に検討を行った。同年10月には敦煌莫高窟において第332窟の涅槃変図を調査し、あわせて則天武后期の石窟計24窟を調査した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
則天武后による儀鳳年間の舎利頒布事業に関する研究では、当初予測していた以上の成果を得ることができ、2019年度中に二篇の論文にまとめることができた(「則天武后と阿育王――儀鳳年間の舍利頒布と『大雲經疏』をめぐって」、『敦煌写本研究年報』第14号、2020年3月;「棺槨形制舍利容器的傳播與武則天」(中文)、『形象史学』第15輯、2020年9月刊行予定)。 一方、武周期の涅槃変相図については、まだ研究の緒に就いたばかりの状態であり、今後の課題が多く残されている。現地調査で武周期の涅槃変相図を二点とも実見できたことは幸いであった。そのうち蒲州大雲寺涅槃変碑像の銘文は、これまで四種の録文が公刊されているが、未読や異同がかなりあることが判明した。
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今後の研究の推進方策 |
則天武后による儀鳳年間の舎利頒布事業については、〓(サンズイ+路)州(山西省長治)の場合、刺史が直接舎利を拝受し、儀鳳三年四月八日の仏誕節に既存の梵境寺塔にて供養したことが分かっている。しかし、頒布の時期、仏教教団の関与の有無など、頒布をめぐる具体的な状況については、いまだ不明な点が少なくない。そこで、これらの問題について継続して検討を行いたい。 一方、武周期の涅槃変相図については、涅槃に関わる経典は種類も分量も多く、図像の典拠も多岐にわたっている。そこで、経典の読解と、先行研究の整理・検討を、さらに継続してゆく必要がある。そのうえで、図相の変化と、当時の仏教思想との関係、則天武后との関係を探ってゆきたい。 また、蒲州大雲寺涅槃変碑像の銘文については、校訂と釈読を行い、できるだけ早い時期に資料報告として発表したい。
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