本研究は中国における伝統の身体表現を探究するものである。古典戯曲の身体表現を対象に、京劇、中医師、中国舞踊の専門家と共同で、伝統的身体観の視点から検証し、身体における伝統表現の中核へアプローチしてきた。昨年度より中医学、人相学、伝統哲学の古籍文献を踏まえて考察を深め、総合する段階に進んでいる。最終年度は化粧表現の検討及び表現の背後における伝統的思想の検証と議論を行ない、以下の成果を得た。 ①戯曲において、性格が強い登場人物の顔には強烈な色の化粧が施される。中医学の望診と比較し、緑、赤、黄、白、黒の五色がそれぞれ象徴する性格は、中医学における顔色と不調な臓器との対応関係に符合していることがわかった。 ②京劇の化粧には俊扮・臉譜の2大形式がある。それぞれの表現特性及び両形式の比較から人物の区分基準を割り出し、化粧表現の構造を明らかにした。俊扮はバランスの良い端正な顔を単一の型として規定するのに対し、臉譜は色・線・図案という記号性に満ちて人間離れした顔で多様な型があり、性格の「偏った」人間を個別化した表現であるということができる。俊扮は理想状態、臉譜は理想状態に比べて偏りがあるという区分、「一と多様」という対比構造が浮き彫りになった。 ③「一と多様」の対比構造について、古典哲学の中庸と礼の構造に照らし合わせて検証・考察した。過不足ないバランスの取れた状態である中庸は古代中国において最も理想的な道徳であり、礼とは互いの違いを認識し尊重することである。多数の異なる意見を持つ人々が礼を尽くし、一つの理想、すなわち中庸を目指すのであり、中庸と礼とは「一と多様」の関係にあるということができる。 戯曲の身体表現は、戯曲の発展に伴って生み出された戯曲特有のものではなく、陰陽五行と気を始めとする中国の伝統思想が身体の芸術表現へと変換されたもの、中国の伝統的身体観を反映した表現であると結論づけた。
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