研究課題/領域番号 |
19K00249
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
野澤 暁子 (篠田暁子) 名古屋大学, 人文学研究科, 共同研究員 (20340599)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 中世ジャワ / リテラシー / オラリティ / 芸能文化 |
研究実績の概要 |
2020年度は新型コロナウィルスによる渡航制限のため、インドネシア・バリ島での伝承状況に関する現地調査を中止せざるを得なかった。そこで研究課題であるスリ・タンジュン説話の伝承を「リテラシー×オラリティ」という二つの流れからとらえる枠組みを設定し、この一年間はリテラシーの問題に関わる文献調査に専念することで課題研究の進展を図った。 文献調査の対象としたのは、インドネシア人文学者Prijonoが1938年にオランダ語で出版した「Sri Tanjung: Een Oud Javaansch Verhaal (スリ・タンジュン: 古いジャワの物語)」である。この調査では主に「Prijonoがスリ・タンジュン説話のテクスト化に使用した写本の種類」「Prijonoの問題設定/分析方法/解釈と結論」「研究の社会的背景」に焦点を当てた。 その結果明らかとなったのは、スリ・タンジュン説話を含む中世ジャワ文化の解釈の基盤が植民地時代の宗主国オランダのリテラシー文化によって築かれた背景である。ここで重要なのは、19世紀にオランダ人官僚Hoevelによる「バリ=中世ジャワ文化の伝承地」という歴史観にもとづいて文学者Friederichらが収集した膨大な写本から、Prijonoがスリ・タンジュン説話を一貫したテクストとして構成したことである。Prijonoがスリ・タンジュン説話のテクスト化にバニュワンギ(ジャワ島)の写本ではなくバリ島由来のものを採用した背景には、こうした植民地アカデミアの認識的・制度的環境が反映していることが明らかとなった。それに加えて本来詩歌として「詠まれる」ものであったこの説話の民間伝承に対し、その後Prijonoのテクストが後続の在来/在外研究者の間で参照されることにより、このテクストを「意味的メッセージとして〈読む〉」一つの系譜が形成された経緯を明確化することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウィルスによる不測の現地調査中止となったものの、逆に1938年に著された一つの文献の中を徹底的に調査することで、新たな視座が開かれた。こで得た発見は、中世ジャワ説話の伝承において植民地時代に形成されたリテラシー文化が今日の言説にまで影響を及ぼしている点である。そこで今後の課題の一つに、近代以降のテクスト実践に関するメディア論的分析を加えることとした。この文献調査を通じて人文学の根幹に関わる諸問題を明らかにすることができた一方、上記のリテラシー文化の特質はオラリティ文化との比較なしに具体化することは難しい。したがって2020年度は厳しい状況のなかである程度の進展をはかることができたが、その知見を立体化するための文化的現実に関する情報が不足しているため、(2)の区分として自己評価した。
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今後の研究の推進方策 |
現在進行中のPrijonoのテクスト実践をテーマとする文献研究の成果に関しては、現在メンバーとして参加している南山大学人類学研究所の共同研究「〈大きな理論〉と〈現場の理論〉」の論集に投稿する予定である(2021年度末刊行予定)。したがって今年度の前半はその執筆に専念しながら、もう一つのオラリティ文化における説話伝承の現地調査の見通しを立てていく予定である。 以上をふまえて今後は二つの課題を設定している。一つ目は、バリ島の写本を活字化したPrijonoのテクスト実践の文化的背景の調査である。「なぜ〈本〉にしたか」というシンプルな問いから、当時のオランダにおける出版文化の状況と、そこにインドネシア人知識人として使命を与えられたPrijonoの政治的・文化的立場を明確化することが目的である。この考察を通じて、この説話をめぐる「出版共同体」という解釈共同体の歴史的意義を巨視的な視点から照らし出したいと考える。 そしてもう一つは、バリ島における伝承状況の調査である。現在の観察範囲内では、この説話はPrijonoが提示した「中期ジャワ語」「韻律詩キドゥン」「キドゥンの中のウキル節」という様式的特徴は今日の伝承にみられない。現行の実践様式では現代バリ語の歌詞を使用し、詩歌における自由韻律詩ググリタンとして吟じられる。節回しには複数のパターンがある。実演の際に手元に置くテクストの支持媒体は、椰子の葉に文字を刻み込んだ伝統的なロンタル文書でなく、歌い手が自分の創作歌詞を記したノートが殆どである。この現状は、民間の儀礼共同体が時代の推移とともに、この説話の受容と発信に適した形態や文脈の選択を続けた結果であると考えられる。そこでこの解釈共同体を「儀礼共同体」と位置づけ、前述の「出版共同体」との対比からその特質を照射することで、この説話伝承の立体的解釈を進める方針である。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルスによる現地調査の中止や大学の閉鎖といった特殊事情をふまえ、混乱の最中でさらに事務関係に負担をかけないよう、2020年度は経費を使用せずに一つの文献の徹底的な調査と並行して論文執筆および研究発表などの活動に専念した。余りの経費は2021年度に繰り越し、渡航制限の状況を随時観察しながら今後の研究活動に活用する方針である。
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