研究課題/領域番号 |
19K00258
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研究機関 | 武蔵野美術大学 |
研究代表者 |
今岡 謙太郎 武蔵野美術大学, 造形学部, 教授 (30277777)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 上方落語 / 江戸落語 / 寄席興行 |
研究実績の概要 |
本年度は、江戸桂派形成の基盤となる三代目桂文治の事績を再検討し、かつ三代目文治と前後して進出を行った桂文吾(初代か)の事績を洗い出した。その結果、桂文吾が三代目文治よりやや先行して江戸進出を果たしており、上方の演目とされてきた「三十石」を早い段階で江戸へ持ち込んでいたことが判明した。また一方、三代目桂文治(江戸文治)が縁戚関係を軸に三代目を襲名したことは知られていたが、三代目文治自身、養子縁組や積極的な門弟採用を軸に、自派の勢力を拡大する意図があったことが、各種番付類の検討により判明した。 三代目文治が江戸で自派形成を図っていた幕末期(天保末~嘉永頃)は、初代可楽の門人たちが既にそれぞれ一派を形成し終えていた時期にあたる。初代船遊亭扇橋を祖とする「扇派」、初代三遊亭円生を祖とする「三遊派」等様々な「派」はその後継者たちが活動していた。そうした、いわば群雄割拠的な状況下において、三代目文治は続々と門弟を養成し、自派の勢力を拡大させていった。これらの状況は幕末期に発行された各種番付類からもうかがい知ることが出来る。三代目文治は数多くの門弟を取り立てているが、その中から文治を襲名した四代目、五代目はほぼ縁戚関係といってよい関係(養子分にするなど)を持っており、そうした活動は後の6代目文治にまでつながってゆくことが確認できた。 また一方今回検討資料として用いた『本朝話者系図』等の資料類から、従来あまり注目されてこなかった桂文吾(初代か)や上方才六といった芸人が、文治以前にもかなり活発な活動を行ってきたことが判明した。今後はこうした芸人たちの活動を視野に含めて研究を進める必要がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初計画していた同時代資料の検討に関しては、やや遅れているといわざるを得ない。これは、後代に伝わる資料から類推すべき事柄が当初の予想よりかなり多いと判明したことによる。 特に、映像、音声資料には思いがけない痕跡が見つかり、同時代資料との突合せ等が必要になったため、そちらに時間をかけざるをえなかったという事情が大きい。 今後は同時代資料の検討を加速し、研究を進めていく必要がある。
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今後の研究の推進方策 |
同時代資料の閲覧、収集を更に推進していく。 また一方、歌舞伎等同時代の他ジャンル資料の検討を視野に入れ、多角的に研究を推進してゆく。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初予定していたデータ入力が行えなかったための人件費、また当初計画していた同時代資料購入のための物品費。 本年度はデータ入力、整理を積極的に行う。また、音声・映像資料を積極的に進めていく。
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