研究実績の概要 |
本研究の目的は、遺伝学・ゲノム学の成果が〈人々の形而上学〉にどのような影響を与えてきたか、また逆に、そもそも遺伝学・ゲノム学がいかなる〈人々の形而上学〉を土台として成立し、発展しえたのかを、生物医学の専門的文献から大衆的言説(化学啓蒙書、映画・テレビ番組、SNS等)に至る各種素材やデータの分析にもとづいて解明することであった。扱う対象が広範にわたることから、当初企図した計画を完遂できたとは言えないものの、デレク・パーフィット以来〈人々の形而上学〉に関わる議論の焦点の一つとなっている「非同一性問題」について、先行研究の整理とその批判を行った上で、それが大衆的言説の中にどのように表現されているか、そしてそれが言説をどのように構成する要素となっているかを、具体的な事例に則して分析する作業を進め、その成果の一部を、論文「非同一性問題再考」(『現代思想』2019年11月号)、学会発表"Is Conceiving A Child With Disabilities Morally Wrong?", 16th World Congress of Bioethics in Basel, 2022.として報告することができた。これらの業績によって明らかにしたことの一つは、「非同一性問題」と呼ばれるパラドックスに躓く思考は、は確かに生殖倫理が問題となる場面にかかわる大衆的言説からも看取できるものの、それは常にというわけではなく、「非同一性問題」に無頓着な仕方で出産や出生を語る言説も一定の割合でみられるということである。そうした違いを、「非同一性問題」の存在を認識する言説とそれに無頓着な言説との〈人々の形而上学的〉レベルの差異として記述することができた。
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