①王権の境界的宗教空間の探究において一貫した課題である醍醐寺閻魔堂に関しては、その根本となる儀礼テクストである醍醐寺蔵『尊勝陀羅尼并般若心経発願』(成賢自筆)について、翻刻紹介を行った。本来の作者である解脱房貞慶の『閻魔講式』との比較を通じて、貞慶の宗教構想と実践において発願文こそが重要な要であることに注目した結果、それがあらたな王権の宗教空間の創出を支える誓願として共有され、受け継がれることの意義が照らし出された。その成果を、ハーバード美術館に所蔵される南無仏太子像(鎌倉時代)の像内に尼僧が籠めた願文に重ねて検討することによって、貞慶が源信の『往生要集』に示される四弘誓願を自らの信仰実践の根本に据えたこと、またそれが叡尊らの律宗の活動にもつながっていたことが明らかとなった。これを踏まえて、尼たちの信仰実践の上にハーバード美術館の南無仏太子像に籠められた納入品について分析した結果、本像がいかなる場に於いて創出され、安置された像であったかについての仮説を導き出し、国際的な共同研究の場で発表を重ねることができた。これらの成果は、宗教、文学、美術の研究領域を結び、境界的宗教空間を創出した貞慶の役割や、中世の女院の主体的な働きを問い直す上で重要な成果となった。 ②都市をめぐる境界的宗教空間の創出の上であらたに注目したのは、『十夜由来根元記』である。その資料紹介を通じ、京都における十夜念仏が近世に江戸において展開するにあたって、本資料が、中世に成立した「生死本源経」を活用してあらたな意義を与えていたことがわかった。 ③東国の境界的宗教空間の研究においては、従来取り組んできた富士を中心とする東国の縁起世界の探求が、画家中村芳楽氏による富士山絵伝四幅の制作に生かされ、社会的な貢献と発信へとつながった。
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