これまで、証明ぬきに行われてきた、江戸幕府出版法が日本全域で共有されているという認識をくつがえして、江戸幕府出版法のほとんどが、あくまでも江戸は江戸、京都は京都、大阪は大阪で発令された、各都市の法令にすぎなかったであろうことを明らかにし、この分野における歴史認識を変更した。また、江戸幕府評定所編纂の幕府法令集という権威ある『御触書集成』にも後代の編纂物という限界があり、編集ミスがふくまれるということをはっきりさせ、寛政の改革中の出版法令を一つ、存在しなかったものとして消去した。寛政の改革の出版政策についての考察にも、そのことをふまえた修正が必要となる。
|