東常縁は二つの学流を受け継ぐ。一つが師である尭孝から伝受した二条派常光院流の歌学であり、もう一つが東胤行(素暹)以来東家に伝えられた東家流の歌学である。これまでの研究によって、東家説は幾つかの注釈書の中に断片的に残ることが分かった。本年度は、これまで見出した東家説を基準として、他の注釈書に見える(伝)東家説・常縁説を検証し、その真偽を確認することが目標である。 本年度は『古今集抄』(平松抄)を対象とした。平松抄は、京都大学附属図書館平松文庫所蔵の五冊本である(京都大学国語国文資料叢書)。諸注集成である平松抄の中に「東殿説」が見えるが、片桐洋一氏は東殿説を分析し、東殿説が特定の注釈書に依拠している点、東殿とは平松抄に同じく名前の見える東師胤である点を推定した。 今回平松抄を精査したところ、1064番歌注に「東殿の義には、……。又云、師胤の義には、……」とあり、東殿説と師胤説が続けて掲出される。仮に東殿=師胤であるなら、このような掲出の仕方は不自然ではないか。むしろ、東殿説と師胤説は、それぞれ別の注釈書の引用と考えた方が良い。そして、この東殿説は、諸書に残される東家説の書き換えであることが、比較によって推測できる。例えば、1096番歌の東殿説は『法華経』譬喩品を引用するが、諸注釈書のうち、同様の引用を行うのは『或聞書中有所存抜書』(曼殊院蔵)のみである。 また、平松抄には、『六巻抄』の引用が散見される。この引用を、円雅から常縁が伝受された『六巻抄』(『中世古今集注釈書解題 三下』)と比較すると、一部合致しない。例えば、125番歌、150番歌に「六巻抄には」として引用される文は、現行の『六巻抄』には見えない。引用書名を鵜呑みにせず、丁寧に確認することが必要であろう。
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