明治前期、新聞という新しいメディアの登場が、新しい情報流通システムを開拓していく。当初新聞は少部数印刷で限られた地域に頒布販売されるものであった。その流通を担ったのが、江戸期以来の草双紙店(露天商をふくむ)であり、瓦版などの読売(呼び売り)であった。その後、新聞の発行部数がのび、購読者も広範囲になった時、売り子を組織し新聞を売りさばく、「会社」が現れる。その大手が岡田常三郎による書籍行商社(後日本館)であった。本研究は、その書籍行商社の活動の実態を明らかにすることによって、明治前期の雑誌・新聞の流通、江戸期の戯作類の後継となる印刷物のありようを明らかにすることが眼目である。今年度の成果としては、先ず第一に書籍行商社の刊行書目のデーターベースの作成であるが、全国の図書館、資料館、での調査、あるいは古書市場で収集した現物、などかなりのデータを集積することが出来た。全刊行点数(刊行目録や出版広告などによって推測)の3割程度の現物確認、5割程度の書誌データ・推測内容をえて、目下ファイルメーカーによるデーターベースの構築を進めている。第二に、書籍行商社と明治期の自由民権運動の一環として(その政治性の多寡は問題とされてきているが)書生節(演歌)の関係を明らかに出来た。歌詞を売り歩くという演歌師の形態と新聞の呼び売りは組織として親和的であり、お互いに影響し合って発展したことが解明されつつある。その際のキーパーソンが高橋友太郞という人物で、演歌をもととした「唄本」の重要発兌元春江堂で多くの編輯をし、また書籍行商社では現代で言うところの「ライター」の役割を担った人物であるが、その活動が分からないところも多く残しながらも解明された。第三には、書物行商社の出版物は、明治前期の小新聞の「読み物」を受け継いだものであり、さらにそれら江戸・幕末期の戯作類の後裔であることを明らかにした。
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