研究課題/領域番号 |
19K00367
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
伊藤 徳也 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (10213068)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 生活の芸術 / 審美現代性 / フーコー / 武田泰淳 / 周作人 / 魯迅 / 松本清張 / 「或る『小倉日記』」 |
研究実績の概要 |
・周作人が提唱した「生活の芸術」論には生活そのもの、作品そのものを愛惜し賞味しようとする「審美現代性」が顕著である。「生活の芸術」は英語等では"art of living"、”lebenskunst”などと翻訳されるが、21世紀以降日本語圏で「生の技法」というタームが目立つようになってきた。系譜が明確なのは、フーコーの「生存の美学」を引き継ぐドイツ美学=倫理学者達の考え方で、他にも社会学者がこのタームを使っている。彼らが論じる「生の技法」の主旨は「生活の芸術」と大差はない。しかし、「生の技法」論には「審美現代性」が排除あるいは等閑視されている。 ・戦前戦中の日本も文革までの中国と似て「審美現代性」が相対的に抑圧される傾向にあったが、戦時中の武田泰淳は周作人の日中比較文化論に示唆を受けて自前の日中比較文化論の雛形を構想した。泰淳は中国文学の特徴を「批判精神」に見たが、その反例ともなる沈復「浮生六記」にも注目した。「審美現代性」が抑圧されない環境下では、中国文学にも「浮生六記」のようものが生まれうること、そして、戦前の中国文学の中にも日本の私小説体に似た魯迅、郁達夫等の小説があったことを示した。 ・文革終了直後はまだ「審美現代性」への抑圧が激しく、1990年代以降特に21世紀以降、中国社会にも「審美現代性」への抑圧が弱まり「審美現代性」への親和性が高まったと予想できる。社会派推理小説作家として中国でも知られる松本清張の芥川受賞純文学作品「或る『小倉日記』伝」に対する受容の相対的な変化がその一つの有力な事例になる。結果から見ると失敗した人生が実に冷徹に描かれているが、その人生の内実は充実した過程であって、実は幸福だったのではないか、といった感想がネットに書き込まれるようになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
コロナ禍のため訪中して現地調査ができないことが痛いが、「審美現代性」というターム・概念の定義や有効性の精査も少しずつ進んでいるし、典型的な事例もわずかだが確認しつつある。
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今後の研究の推進方策 |
文革集結以降の中国での日本文学受容の状況調査は、中国で実施したほうが捗るが、日本国内でもインターネット経由で中国のネットの書き込みはある程度調査できるので、これまで以上に大きく細かい網をかけ、仮説を補強する事例を反例とともにたくさん収集したい。当初の目論見としては、中国社会の日本文芸受容から中国社会文化の一面を窺おうとしたのだが、私小説が有効なポイントになりそうなので、この方面に探究を伸ばし、他方、文革中の中国社会文化を背景に持つ日本語作家楊逸の作家活動の展開から、日本語社会文化の一面を窺ってみたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
海外渡航費が使えなかったことが大きい。大きくはコロナ禍と日中両国の出入国制限、社会状況による。出入国制限が解除される日時は予想がつかないので、海外渡航費に向ける予定だった予算を、国内で使うべく、国内旅費や謝金、その他の支出で研究計画を進める。
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