最終年度では、本研究課題を論文「冷戦下に広がる荒地-プリントカルチャーと詩人の役割」にまとめ、書籍『四月はいちばん残酷な月 ―T. S. エリオット「荒地」発表100周年記念論集』( 佐藤亨ほか編 ・水声社)のなかの一編として出版した。 本稿は、『荒地』が出版された1922年から四半世紀以上を超えた1948年に注目し、T. S. エリオットと『荒地』が置かれた文化的・政治的位相を考察したものであり、第一次大戦後の荒廃したヨーロッパの精神的土壌を描いたとされる『荒地』の世界が第二次世界大戦が終戦した1945年から緩やかに、新たな政治的色彩を帯びることを明らかにした。具体的には、第二次大戦後の日本におけるエオリット受容を視野に、エリオットと『荒地』の受容を大西洋と太平洋を跨いで張り巡らされたプリントカルチャーから考察したもので、冷戦期の印刷物『エンカウンター』に先立って、戦間期におけるエリットが編集した文芸誌『クライテリオン』がモデルとしてあったことを、両誌の編集方針から論じている。文化的ネットワークの構築する媒体として、『エンカウンター』がエリオットが編集した『クライテリオン』の方針に倣ったという事実は、エリオットの文化的戦略がいかに野心的であり、かつ有効であったかを物語っている。ただ、エリオットが念頭においていたのは、ヨーロッパの文化圏であり、『エンカウンター』が射程に入れる文化領域は、エリオットよりも広汎であることを強調している。エリオットの編集した文芸誌『クライテリオン』は文学という名のもとに、国家間の境界を越えて、人文学者による新たな文化圏を形成する試みであった。
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