①論文「メルヴィルの『レッドバーン』と「野蛮なアイルランド人」という句をめぐって(II)」(以下において「(II)」と略記)を中央大学人文科学研究所編『人文研紀要』の2023年度号に向けて寄稿。②書評「『レトリックの哲学』を読んで:アイヴァー・A・リチャーズ著、村山淳彦訳」(世界文学界編『世界文学』第136号:103-105[2022/12/10])。本書評は、リチャーズの原著が1936年出版の古い書物であるにもかかわらず、早くも、「語」や「言述」の意味の読み取りについては、「コンテクスト」こそが枢要であること、またその際、解釈者の存在、解釈者としての読者の主体性が認知されなければならいとしていることを指摘している。 私は期間中に5篇の論文を書いたが、これらの論文のうちの4篇は、部分的あるいは全面的に、メルヴィルが並々ならぬ関心をいだき、それゆえ作中に書き込んだと考えられるアイルランド、アイルランド人、アイルランド人移民にかかわる社会的、歴史的な事象――私はこれらの事象をメルヴィルのアイリッシュ・マターズ(Irish matters)と呼ぶことにする――の剔抉と解明に関わっている。それゆえ、私の研究プロジェクトの成果は、メルヴィルの「アイリッシュ・マターズ」と呼びうるかもしれない、これまでのところ内外のメルヴィル研究において十全に探査されていない、メルヴィル文学の内容上の1つの大きな鉱脈の発見にあったと言える。上でメンションした私の4篇の論文はメルヴィルの諸作品のうちの『マーディ』と『レッドバーン』しか扱っていないが、私のいう「鉱脈」の一端はメルヴィルの『白鯨』、『ピエール』、『詐欺師』、『戦争詩集、及び戦闘の諸相』中の詩篇「屋根」などにも見出しうることを、私はすでに確認ずみである。
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