J. R. R. トールキンが『ホビットの冒険』の出版により、ファンタジー作家として一躍名を馳せたのは1937年のことであるが、本研究では、『ホビット』以前のトールキンの学術的バックグランド、中でも、後のトールキンの “English and Welsh” (1955) につながるゲルマン語とケルト語の関係性を扱った、トールキン初期の未刊の学術論文を対象に調査を行った。
オックスフォード大学ボドリアン図書館には、トールキンがリーズ大学で教鞭を執っていた時代に行った未刊の公開講義"Celts and the Teutons in the Early World" (1929)の手稿原稿が所蔵されている。この講義録手稿の調査により、1) 後のPatrick Sims-Williamsらの1980年代に最高潮を迎える「ケルティシズム」批判の潮流の核となる、「ケルト」の概念を規定するのは「民族・人種」ではなく、あくまでも「言語」であるという学問的大前提を、トールキンが1929年という早い時点で堅持していたこと、2) トールキンがこの講義録の一部を1955年の“English and Welsh”で再利用していたことが明らかとなった。
またボドリアン図書館には、Lydney Parkの考古学発掘調査で発見された古代ブリテン島の神“Nodens”の名前に関する、ケルト語に精通するゲルマン語のフィロフォジストとしてのトールキンならではの論考“The Name Nodens” (1932)の手稿原稿も収蔵されている。考古学調査を行ったMortimer Wheelerとの書簡、またこの原稿を用意するにあたっての準備段階で地名研究の権威Allen Mawerと交わした書簡からは、出版稿には含まれなかったトールキンのLydneyという英語の地名の背後に存在するケルト語を探る姿勢が明らかとなった。
|