研究課題/領域番号 |
19K00461
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
坂内 太 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (60453990)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アイルランド現代演劇 / 告白の表象 |
研究実績の概要 |
現代アイルランド演劇、特に現在のアイルランド演劇界で大きな影響力を持ち続けている劇作家コナー・マクファーソンの『堰』を対象にして、「告白」の表象の検討を行った。1997年にロンドンのロイヤル・コート・シアターで初演された『堰』は、翌年、ダブリンのゲート劇場で再演されて演劇界に大きなインパクトを与えたマクファーソンの代表作であり、その後、日本を含め世界各国で上演されるなど、アイルランド現代演劇における重要作品であることから、当該戯曲の中心を成す告白表象には検討の意義がある。 これまでの研究や批評では、戯曲の舞台となるアイルランド北西部の地元のパブで人々が順番に披露する物語の仕方が、ケルトの口承伝統を下敷きにしていること、伝説や妖精譚を踏まえた語りを通して、平凡な田舎の現実に象徴的な奥行きが付与されること、パブの常連客と新参者による親密な会話が新たな絆と友愛の感覚を生み出していることなどが指摘されてきたが、アイルランド文芸復興期の演劇やモダニズム文学が生み出した表象とコナー・マクファーソンの戯曲との関係については論じられてこなかった。本研究では、『堰』の中心人物である女性の語りが、アイルランド文芸復興期の代表的戯曲の一つであるジョン・ミリントン・シングによる1907年の作品『西の国の伊達男』に見られる主人公の語りの換骨奪胎である可能性を指摘した。また、戯曲中に見られる日常生活における語りの宗教性に関して、ジェイムズ・ジョイスによる1922年の『ユリシーズ』に見られる、教会での告解の代替物としての対話との関連性を論じた。登場人物たちによる物語の披露は、アイルランド演劇に頻出する劇構造だが、本研究では、時に最も単純な劇作法だと見なされる物語構造にある深い間テクスト性の一端を示し得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の当初の計画では、現代アイルランド演劇、および現代アイルランド文学の「告白表象」のリサーチとして、アイルランド各地での文献調査・演劇アーカイブ調査を行うことを前提としていた。アイルランド文芸復興期以前の演劇・文学作品に遡り、大英帝国の長期にわたる植民地政策に対抗した国家独立運動の機運が高まる20世紀初頭に至る文化的・社会的変革期の状況を踏まえて、とくに都市部の市民生活に独特な影響力を発揮してきた諸劇場の上演と戯曲中の告白表象の先駆について、またその後の発展についてリサーチを行い、検討する予定であった。しかし、本研究の初年度末に生じたコロナ禍ゆえに、日本・アイルランド間の航路が途絶える共に、アイルランドでロックダウンが導入されるなどして、上記の調査はいずれも中断せざるを得なくなった。2021年5月の現時点でも、アイルランドへの研究渡航が困難であり、アイルランド各地の公立図書館や アーカイブ類のアクセスができない事態が続いているため、調査再開の目処が立たない状況にある。また、本研究中に含まれる、現在のアイルランド演劇における告白表象の聞き取り調査、資料調査についても、現地の演劇界がコロナ渦で大打撃を受け、本来ならば本研究の海外協力者として聞き取り調査の対象となる演劇関係者も大勢が休職や一時的に転職するなどの状況が生じて、中断を余儀なくされている。 これらの調査に関しては、来年度以降の再開を検討しつつ、当面のプロジェクトに関しては方針の修正が必要となっている。すでに収集してきた研究資料や国内で調査可能な文献を中心として、現代アイルランド文学と演劇の結節点に見られる告白表象の分析と影響についてリサーチを行う準備を進めている。
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今後の研究の推進方策 |
コロナ禍による研究リサーチへの影響については常に注視しつつ、本研究で本来予定していたアイルランド文芸復興以前の演劇・文学における告白表象について、現地での文献・アーカイブ調査を再開するのか、コロナ禍中で若干の方向修正を行ったテーマに関して現時点でのアイルランド演劇界における告白表象の調査を進めるのかを判断したい。いずれの場合においても、告白表象におけるアイルランド文芸復興期の作品とモダニズム文学に見られる間テクスト性、および、アイルランド文芸復興期の作品と現代アイルランド演劇に見られる間テクスト性について得られた一定の成果を踏まえた上で、20世紀初頭から現在までのアイルランド演劇・文学に通底する告白表象の間テクスト性の有無についてのリサーチや検討を含めることが必要と考えられる。 2020年3月以降のコロナ禍による影響は、現時点でのアイルランド演劇界にも著しく現れている。舞台公演の延期や中止、演劇人の休職や離職など、演劇界そのものの衰退に向かうネガティブな影響も広範囲に現れているが、その一方で、本研究で扱う告白表象について新たな可能性を示す戯曲やパフォーマンスが生み出されてもきている。演劇上演の主要な場所が、通常の劇場からインターネットに移行し、舞台上の俳優と場内の観客が同じ時間と空間を共有する通常上演から、無観客上演の配信や記録映像のネット公開などに移行するにつれて、告白者と聞き手の親密な共感や精神的分断の表現が、コロナ禍中での市民生活の分断や孤立などの現在的な文脈を作品中に取り込みつつ、新たな様相を呈し始めてもいる。こうした状況下での新たな告白表象についても、次年度以降での本研究のテーマに含めていくことが肝要と思われる。
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